ガイウス・ポンプティヌス

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ガイウス・ポンプティヌス(Gaius Pomptinus)はプレブス(平民)出身の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前63年法務官(プラエトル)を務めた。紀元前62年から紀元前60年にかけてのガリアの反乱を鎮圧し、紀元前54年凱旋式を実施した。

経歴[編集]

紀元前71年、ポンプティヌスはスパルタクスの乱の鎮圧において、マルクス・リキニウス・クラッススレガトゥス(副官)として活躍した。紀元前63年には法務官に就任、キケロカティリナの陰謀を暴くのを支援した。ポンプティヌスと同僚法務官のルキウス・ウァレリウス・フラックスは、アッロブロゲス族(en)がカティリナ一派に宛てた、陰謀に加担した場合の報酬を問う書簡を調べる責任者となった。翌紀元前62年、ポンプティヌスはガリア・トランサルピナ(アルプスの北側のガリア)の総督となり、レガトゥスの一人にはセルウィウス・スルピキウス・ガルバ(第6代皇帝ガルバの曽祖父)がいた。紀元前61年にはアッロブロゲス族の反乱を鎮圧、紀元前59年にはローマに戻ったが、プブリウス・セルウィウス・イサウリクス小カト等、何人かの元老院議員の反対により、凱旋式は実施できなかった。

紀元前54年、ガルバが法務官に選ばれ、また執政官アッピウス・クラウディウス・プルケルの支援もあって、凱旋式を実施することが認められた。紀元前51年にキケロがキリキア属州の総督となると、ポンプティヌスも彼に同行している。

参考資料[編集]

関連項目[編集]