イリヤ・ヤロスラヴィチ

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イリヤ・ヤロスラヴィチ
Илья Ярославич
ノヴゴロド公
在位 11世紀前半

父親 キエフ大公ヤロスラフ1世
母親 アンナ
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イリヤ・ヤロスラヴィチロシア語: Илья Ярославич)は、キエフ大公ヤロスラフの長子であるとされ、おそらく11世紀にノヴゴロド公であったと仮説が立てられている人物である[1]

概要[編集]

イリヤについては、『ノヴゴロド年代記』の中にわずかに言及がみられるのみである。それによれば、イリヤは父ヤロスラフの指示によってノヴゴロドを統治し、またノヴゴロドで死去したとされる[1]。また、それはポサードニクのコンスタンチン(ru)や、ウラジーミルクニャージとして統治する以前のことであったとされる[2]

多くの歴史家は、イリヤを実在の人物とみなすことに疑問を呈しているが[3]、仮にイリヤが実在した場合は、ティトマー(ru)の記した年代記中に言及される、ヤロスラフの最初の妻(名はおそらくアンナであるとされ、1018年のボレスワフ1世のキエフ遠征の際に捕虜になった[4])の唯一の子であるとも考えられている。なお、A.ナザレンコ(ru)は、イリヤは1018年8月から1019年もしくは1020年までノヴゴロド公であったとみなし[5]、またV.ヤーニン(ru)は1030年から1034年にかけてノヴゴロド公であったとみなしている[6]

出典[編集]

  1. ^ a b Илия Ярославич // Русский биографический словарь : в 25-ти томах. — СПб.—М., 1896—1918.
  2. ^ НПЛ, С. 161, 470
  3. ^ Карпов А. Ю.など
  4. ^ Титмар Мерзебургский. Хроника. Кн. 8, гл. 32
  5. ^ Назаренко А. В. Древняя Русь на международных путях. — М.: Языки русской культуры, 2001.
  6. ^ Янин В. Л. Новгородские посадники. — М., 1962. — С. 48—49.

参考文献[編集]