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利用者:Stevia

-ステビア農法開発先駆者の誕生物語-

[ステビア第一号]が誕生した[宮崎県のミカン]栽培農家が堆肥として用い、有効であったことを先駆者「堂園文夫」氏が昭和56年頃、

宮崎県西都市のステビア先駆者の指導でステビアを栽培していた農家の庭先にミカンの木がありました。

そこにステビアの葉を収穫した茎を堆肥として積んでいた所、2年後にステビア茎が腐り始めた。

その時期に成熟したミカンは毎年酸っぱくて食べられ無かったのにこの時期は子供たちが大勢で「甘い甘い」と食べていたという。

ステビア堆肥の中にカブトムシの幼虫やミミズが繁殖していた。ステビア茎に甘い成分があることを発見して誕生したのがステビア農法である。

宮崎[日日新聞]

ステビア第一号:宮崎[日日新聞] 昭和57年9月12日 日曜日の新聞にステビア先駆者「堂園文夫」氏の取材が詳しく掲載され、宮崎テレビでも放映された。

すでに昭和56年から「ステビアの農法」が始まったのである。

ステビア先駆者「堂園文夫」氏のステビア葉と茎のステビア特許国内7つと、国外特許27つを取得し、日本ではパイオニア的存在として、

昭和56年から29年の研究蓄積によりステビア葉と茎の発明により、ステビアによる薬理効果、有機栽培農法等に早期に注目し、

「生命工学ステビア」開発の先駆者として、平成14年日本文化振興会から「国際アカデミ-賞」を受賞された。

ステビア先駆者「堂園文夫」氏により「韓国ステビア株式会社」にステビアの技術が渡って行って、2007年(会社6年目)からは上場株となり、

ステビア先駆者「堂園文夫」氏の功績が発揮され、2010年からは国際的に注目を集め始めた。

 「ステビア農法」のステビア第一人者。

ステビア農法の誕生物語。

昭和56年に宮崎県のタバコ生産者57人に協力を求め、ステビアの乾葉生産を開始しました。

その時の組合の名称は「宮崎ステビア生産組合」代表は堂園文夫でありました。

昭和62年(1987)年5月20日日本国特許庁(jp)⑪特許出願公開・公開特広報(A)昭62-108790庁内整理番号8619-401

ステビア発明の名称:出願昭62年(1985年)11月6日 (1)発明の名称:ステビア添加剤。

(2)ステビア添加剤の製造方法    21-出願昭60-249200    22-出願昭60(1985)11月6日 (ステビアの乾葉を粉末にする発明)

農業用・畜産用研究は昭和59年 特願出願62年であり、その時に協力者は「宮崎県農業試験場」であります。 協力者名簿。 宮崎県畜産試験場・都城共済組合 宮崎県各農協(宮崎農協)(代表的な農協・国富農協)綾農協・佐土原農協・西都市農協・都城農協

ここから「ステビア農法」が始まったのである。

(特許調査の方法.データベース. 古くは、特許庁の資料室参考)

[ステビア第一号]が誕生した[宮崎県のミカン]栽培農家が堆肥として用い、有効であったことをステビア第一人者「堂園文夫」氏が昭和56年頃、

宮崎県西都市が「堂園文夫」氏の指導でステビアを栽培していた農家の庭先にミカンの木がありました。

そこにステビアの葉を収穫した茎を堆肥として積んでいた所、2年後にステビア茎が腐り始めたという。

その時期に成熟したミカンは毎年酸っぱくて食べられ無かったのにこの時期は子供たちが大勢で「甘い甘い」と喜んで食べていた。

ステビア堆肥の中にカブトムシの幼虫やミミズが繁殖していたので、ステビア茎に甘い成分があることを発見し、

研究開発に着手し、誕生したのがステビア農法である。

宮崎[日日新聞]

ステビア第一号誕生記事:宮崎[日日新聞]

昭和57年9月12日 日曜日の新聞にステビア先駆者「堂園文夫」氏の取材が詳しく掲載され、宮崎テレビでも放映されたという。