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利用者:Nonyuyu071830

石塚隆(いしづか たかし [[1973年3月16日]]-)は[[東京都]]出身の[[日本]]の[[和太鼓]]奏者、[[作曲家]]。

[[深川福住太鼓]] 会長、[[江戸神輿会 石塚組]] 会長

来歴

地元の[[小学校]]、[[中学校]]を卒業後、[[堀越高等学校卒業]]、映画俳優になりたかった。東映にコネがあり、その事を伝えると、舞台で演技の勉強をしなさいと言われ、18歳で六本木俳優座劇場で初舞台を踏んでいる。ほぼ同時期にボクシングを始める。しかし、当時ウェルター級の吉野弘幸のスパーリングを毎日見ていて、流血して倒される相手を見て、これは勝てないと思ってしまう。あの強烈な左フックはいまだに忘れないと言っている。そして、俳優業も、舞台がつまらなくなってしまい辞めてしまう。その後、合気道と空手道の黒帯を取得している。

結婚を機に和太鼓を習い始める。その後、地元の周年行事で和太鼓演奏を頼まれ、それを見ていた子供の親から「子供たちに教えてあげてくれないか」と頼まれるが石塚は何度か断っている。教えるほどの技量はないと。しかし、その後も何度も頼まれ地元の大先輩たちにも頼まれ、内心嫌がりながらも始める。新たに石塚自身も特訓をした。この頃、[[深川富岡八幡葵太鼓]]の練習にも参加させてもらっている。石塚は葵太鼓の滑川智大会長は人としても尊敬している。

そして、2003年に正式に深川福住太鼓を結成する。福住太鼓の『福住』は東京都江東区福住の『福住』である。

石塚自身、福住に生まれ五代目で、江戸三代祭りの深川祭は子供の頃から神輿を担いでいた。福住の神輿は戦前の1927年(昭和二年)に作られており、神輿の中には石塚の曾祖父の名前が彫られている。

深川福住太鼓の創作和太鼓は全て石塚が作曲している。東京を中心に活動をしているが、やはり深川祭の神輿と和太鼓のコラボレーションが一番の演奏と言っている。

そして、結成時お世話になった先人方のためにも福住太鼓を優先に活動することに決めている。

深川福住太鼓は2023年10月に結成二十周記念年を行った。「義理と人情とやせ我慢でメンバーを引っ張っていく」と決意を述べた。

江戸神輿会 石塚組は、その日の予定が空いている時に神田祭や三社祭、山王祭などで参加させていただいているという。また、少数精鋭で誰でも入れる会ではないとしている。

石塚組は地元の深川祭には登場することはない。深川福住太鼓の会長として、五十三基の神輿を迎え、町内で待っててくれる町会や総代に感謝をしている。最後は町会で太鼓を打ち鳴らし、「福住太鼓のメンバーも皆で福住の神輿を担ぐのが最高だ」と語っている。

石塚自身は神輿と太鼓のどちらが好きかと聞かれると7対3で神輿だと言う。