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ノート:灰吹法

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キューペルでの酸化鉛の吸収反応、どなたか冶金に詳しい方の加筆をお願いします。また、世界的に見たアマルガム法と灰吹法の歴史と地理的分布の過程についても、記事が必要でしょう。--ウミユスリカ 2006年5月19日 (金) 00:16 (UTC)[返信]

いろいろ調べてみると、吸収反応は化学反応ではなく、液体の表面張力の違いによる物理反応のようですね。ちょっと誤解していました。その方向で加筆いたします。--ウミユスリカ 2006年5月19日 (金) 11:06 (UTC)[返信]

「日本には、戦国時代の1533年に石見銀山の発見に際して博多を通じ李氏朝鮮から招かれた宗丹及び桂樹の両名の技術者によって伝来された。」の根拠・出典は何なのでしょうか?

浜田海上保安部「石見銀山に関する研究」の『第五章精錬』灰吹法には、次のように書いてあります。
『天文2年、筑前の国の慶寿という禅僧が始めたと言われる。この慶寿という人は、宗丹という人とともに神谷寿禎が連れて来た人で、おそらく支那の冶金法を伝えたものと思われる。寿禎の父、神谷永冨は、海外貿易を営み、南蛮にも往来していたから、寿禎は、この機会に自ら人を連れて支那・明国にいって、冶金術を習って帰ったと言われるからである。』この他にも灰吹法については、神谷家の「由緒書」には、日本に吹き分けの技術がないことを嘆いた寿禎は、中国に渡り、吹き分けの技術を学び、帰国するとこの最先端技術を日本各地に広めたと記されています。
その他多くのHPが中国説を採っています。
また冶金の曙 灰吹法前夜では、「朝鮮の精錬法(灰吹法)は、プロセスの一部が中国や日本の方法と違う」とありますので、朝鮮からの技術ではないと思います。

根拠がNorth Korea Todayくらいしか見つかりませんが、North Korea Todayは朝鮮人特有のホラ話で信用するに足りないと思います。--しょかい 2006年11月2日 (木) 05:01 (UTC)[返信]

私は典拠として、平凡社の『世界大百科事典』の記述を採用して、朝鮮人説を記述しました。研究者の間でも両説あるようですので、両論併記に書き換えます。--ウミユスリカ 2006年11月6日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
付記いたしますと、基本的に私は学問上の学説を記述するとき、私自身の専門分野でかなりの確度で評価ができる内容であるものをのぞき、活字化された論文、書籍をベースにしており、ネット上の情報は一線の研究者の自己の研究紹介、あるいは原著論文をネット上に流したものに限るように心がけています。こちらでの記事の記載も、ネット情報によるものではなく活字著作を参考文献としたものであることを強調しておきます。--ウミユスリカ 2006年11月6日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

出典・典拠は本文にお願いいたします

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御両者ともWikipedia:出典を明記するをお読みいただきたく思います。情報源は原著論文でも広辞苑でも大百科事典でも専門サイトでも適宜参照されて良いとは思いますが、できるだけ執筆時に本文ページに典拠を示すようにして下さると、利用者にも後の編集者にも便利だと思います。もしその典拠資料に誤りや問題があるとなれば、後の編集者が「『○○』には××とあるが、『△△』には**とあって云々・・」と編集し直し易いですし、それがまたウィキペディアの資料的価値をも高めると思います。で、上記の文献とサイトを脚注の形で本文に入れさせていただきました。それにしましても、朝鮮がらみの問題となると異様なほど反応される方がいるような気がしますが、気のせいでしょうか。58.91.118.141 2006年11月8日 (水) 18:16 (UTC)[返信]

ご配慮感謝いたします。実は、今千葉の実家のほうに滞在していまして、朝鮮人説で日本への技術の渡来を論じている新しい版のほうがすぐに参照できないため、ノートに書かせていただきました。実家には古い版しかなく、こちらには冶金学的記述のみで、技術史的情報が欠けてるんです。札幌の自宅に戻るか、近隣の図書館で出版年次、該当記事の執筆者などの情報を参照し次第、参考文献に詳細情報を投稿させていただきます。--ウミユスリカ 2006年11月9日 (木) 02:09 (UTC)[返信]
先日、改めて近隣の図書館で、文献の再検証をしてきました。ひとつお詫びしないといけないことがありまして、私が最初に編集した時から少々時間が経ったこともあって記憶があいまいになった部分があり、灰吹法を日本に導入した技術者の名前の出典だけが再確認できませんでしたが、朝鮮由来を主張している文献は確認できました。まず、『世界大百科事典』の新版には冶金学的な解説が記されていた旧版と異なり「灰吹法」の項目がありません。その代わり、佐々木潤之助氏による「灰吹銀」の項目があり、日本で行われた時期を15世紀から19世紀とし、19世紀にシアン化法、電解法と置き換わった旨が著述されています。また、同百科事典の小葉田淳氏による「石見銀山」の項目では、1532年に神谷寿禎が博多経由で吹工を伴ってこの技術を日本に導入した旨が論じられており、技術の由来を中国の新技術が朝鮮経由で日本に導入されたという説を唱えています。また、小葉田氏は吉川弘文館の『國史大辞典』の「石見銀山」の項目でも、朝鮮経由説を唱えています。こうしてみると、日本への導入プロセスや時期も、まだいくつか異論があって確定していないようです。このあたりをもとにして、後ほど本文のほうを手直ししておきます。なお、この件とはちょっと外れますが、今回百科事典の記事をチェックしていて、改めて実感したのですが、学者の書いたものである百科事典の記事であっても、著者の専門をちょっと外れた部分では、意外にとんでもない誤認情報が書いてあるものですね。佐々木氏による「灰吹銀」の記事ですが、灰吹法の鉛除去の原理を蒸発によるものと誤認して記事を書かれていました。『世界大百科事典』は1972年の旧版と比べて、1988年の新版は機械工学や冶金学関係、資源の素材特性などの記述内容がだいぶ後退しています。その分、歴史的技術に関しては工学者ではなく歴史学者による記述が増えているようで、こうした記事の取り扱いにはだいぶ注意を要する部分がありそうです。--ウミユスリカ 2006年11月12日 (日) 12:01 (UTC)[返信]
灯台下暗し。灰吹法を日本に導入した技術者の名前の出典は、図書館での文献ではなく、手持ちの蔵書でした。2005年刊の立教大学文学部教授の上田信氏の著書、『中国の歴史09 海と帝国 明清時代』(講談社)の198ページに、技術者の名前は宗丹と桂寿であり、朝鮮人であるとされています。ただし、研究者向けの専門書ではなく一般向けの概説書であることもあり、出典は明記されていません。また、上田氏が歴史学の研究者であって冶金学にそれほど明るくないことに由来すると思われる、冶金学上の誤認もいくつか散見されます。例えば、骨灰と記述すべき素材を単に灰(X線分析でカルシウムが多く含まれるとしてあることから、草木灰でなく骨灰であることが明瞭)としてあることや、卑金属の除去プロセスに科学的に本当に理解しているのか微妙な記述があります。そういう弱点はあるものの、歴史事典や歴史系叢書の著者に選ばれているプロの歴史学者が二人も朝鮮人説を主張している事実は重いものがあります。また、中国人(中国人という概念も厄介なものなのだが)説を述べている典拠とされたサイト『冶金の曙 灰吹き前夜』[1]をよく読んでみたのですが、本サイトの主張は決して朝鮮の灰吹法が中国の灰吹法と明瞭に異なることを証明しているものではありません。むしろ、サイトの著者は『韓国科学技術史』が、朝鮮の灰吹法の何をもって日本や中国の灰吹法とプロセスの一部が違うと主張しているのかに違和感を感じている風ですらあります。また、本文編集で「神谷家の「由緒書」にも神谷寿禎が中国に渡り二人を招聘したとある」としておられますが、神谷家の由来書の本文には何と記述されていたのでしょうか。この時代ですと、「中国」という表記はちょっと考えられず、「明国」であるとか「唐土」であるとかそういう記述になっていると考えるのが常識的かと思います。そして、具体的に「明国」としておらず、「唐土」だの「漢(から)」だのという古典的表記を採用していたとき、対象が今日言うところの中国であるのか、それとも朝鮮半島をも含めた大陸諸国を指しているのか、判別はかなり困難となってきます。小生この文献を手元に持ちませんので、是非原文の表記をご教示いただきたいのですが、いかがでしょう?ということで、とりあえず、本文の記述を、両論併記の形に戻したいと思います。異論はございますでしょうか?--ウミユスリカ 2006年12月3日 (日) 08:19 (UTC)[返信]

『朝鮮王朝実録』の、天文8年(1539)朝鮮人柳緒宗が倭人(日本人)に鉛を精錬して銀を造る技術を教えたとして処罰されたという記述が朝鮮から伝わったとする説の根拠らしい。--202.157.15.187 2007年9月2日 (日) 04:51 (UTC) 神屋家の「由緒書」によれば、日本に吹き分けの技術がないことをなげいていた寿禎は、渡唐。数十年滞在して吹き分けの技術を学び、帰国をすると、この最先端技術を日本各地に広めたと記されている。--202.157.15.187 2007年9月2日 (日) 05:17 (UTC)[返信]

↑の人は今の版に書き換えた人でしょうか。「唐土」が具体的にどこを指すのかについてはウミユスリカさんも疑問を呈していましたが、その件についての答えが出ていないようです。また、仮にも学術論文への反証として、学術論文を使わないというのはどうなんでしょうか。神屋が中国から灰吹法を持ち帰ったという、研究者実名での研究は存在するのでしょうか。

灰吹法伝来記事についての提案

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現在、日本への灰吹法伝来の由来について、本文では朝鮮伝来ではなく中国伝来であるとされています。 しかし、関連の研究論文をいくつか参照したところ、朝鮮伝来を否定できるまでには至っておらず、両論併記がより望ましいのではないかと考えます。 以下に説明しますと、

近年に至るまで、朝鮮由来を主張する研究が登場している。(遠藤浩巳「石見銀山の鉱山技術」(小野正敏・五味文彦・萩原三雄編『中世の対外交流 場・ひと・技術』高志書院、2006年)や、秋田洋一郎「十六世紀石見銀山と灰吹法伝達者慶寿禅門-日朝通交の人的ネットワークに関する一試論-」『ヒストリア』207号、2007年11月)一方で、中国由来説と朝鮮由来説を併記する研究もまた登場しており(武野要子『博多』岩波新書、2000年)、学界では中国由来説と朝鮮由来説が並立し、決着がついていないのが現状である。

以上が理由です。

また、現在の本文にて中国由来説の典拠とされている浜田海上保安部と、冶金の曙 灰吹法前夜のサイトについては、前者は公的機関のサイトとは言え、主に山根俊久『石見銀山に関する研究』石東文化研究会、1932年からの引用によって中国由来を主張していること、後者については匿名の個人サイトであり、学術的価値の担保が為されていないことから、

1、この両サイトを本文の典拠から外して外部リンクに移動させる。
2、現在の註(2)を山根1932に差し替える。
3、宗丹及び慶寿については小葉田淳「石見銀山」(『日本鉱山史の研究』岩波書店、1968年)が朝鮮人説を唱え、また秋田2007では中国人とも朝鮮人ともせず、「博多の禅門」としていることから、本文から「中国の国の」の部分を削除する。

以上の3つも併せて提案します。--ポコポコ 2008年7月30日 (水) 13:34 (UTC)[返信]

私も、これまで目にした歴史研究者の手による文献に拠る限り、中国由来説と朝鮮由来説のいずれかに確定する結論は出ていないものと考えておりますので、両論併記に賛成いたします。灰吹法自体、日本に招来されるよりはるか昔に誕生した古い技術で別に当時の最新技術というほどのものではなく、日本に招来されたのは国際的に銀の大量流通が生じうる経済的な契機によるようです。それ故に、招来者がこの技術を習得したのが明であるのか朝鮮であるのかは確定するのが現状では困難でしょう。中国説、朝鮮説のそれぞれを唱える論文を典拠に付して、両論併記の形にしていただけると助かります。体調不良(脊椎関節炎とそこから二次的に発症した線維筋痛症が少々悪化しております)のため、朝鮮由来の学説をむやみと否定したがる編集者と不毛な議論になったときに、心身が耐えられるか不安があり、手を下すのを棚上げしておりました。ポコポコ様が手を下してくださると非常に助かります。--ウミユスリカ 2008年7月30日 (水) 14:34 (UTC)[返信]

提案から1週間経過したこともあり、上記提案どおり修正させていただきました。ご異論などがありましたら、ノートで提起していただければと思います。--ポコポコ 2008年8月8日 (金) 00:24 (UTC)[返信]