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ノート:処女懐胎

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処女懐胎というのは

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処女懐胎というのは、あくまで神話学とか人文の話なんで、「すでに男性と性交渉を持った女性」っていうのは、生物学っぽくて違和感を感じるので、何かしっくり来ないんですけど。--以上の署名のないコメントは、218.226.241.30会話/Whois)さんが 2003年5月2日 (金) 17:01‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

確かに硬すぎたかも知れません。でも百科辞典ですから、項目ごとにあまりにも文体がバラバラだと問題があると思うんですよね。Ideal 17:33 2003年5月2日 (UTC)

何らかの原因で

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『何らかの原因で未受精の卵子が分裂を始める事はあり得るが、人間の様な複雑な多細胞生物ではまともな発生に至る事はまず考えられない』とあるのですが、コモドオオトカゲサメが単為生殖を行うケースがあるとの報告が出ています。そもそもアリは十分に「複雑な多細胞生物」ではないでしょうか。 もちろん、ナザレのイエスが単為生殖で生まれたのだとすれば、「マリアそっくりの女性」でなければおかしいわけですが。--FXMC 2007年5月31日 (木) 00:50 (UTC)[返信]

素朴な疑問

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単に素人の素朴な疑問なんですが、注釈の「そもそも、七十人訳とは、キリスト教の生まれる以前の紀元前3世紀から前2世紀にかけての翻訳作業」という部分。 その翻訳作業が行われた時点、キリスト教が生まれた時点、マリアがキリストを宿した時点についての時系列が説明されていないと、論理的に理解できません。紀元前ってことは、受胎以前ということ? 前の翻訳語がその後の翻訳に影響したってことでしょうか? すみません、素人で。--以上の署名のないコメントは、Cyder~jawiki会話投稿記録)さんが 2007年11月10日 (土) 13:41(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

この処女懐胎の物語は、イエス・キリストがその誕生から神の子であったということを明示する意図を持っている。この点において、イエスは、その誕生時ではなく、洗礼者ヨハネによる洗礼時に神に選ばれたと考えるマルコ福音書(1章9-11節)とも、イエス・キリストの存在は万物の創造に先行すると考えるヨハネ福音書(1章1-2節)とも、そのキリスト論において異なっている。マタイ、ルカの福音書は処女降誕によってイエスを神聖視しながらも(ただし神とはみなしていない)、 と本文にありますが、これは断定できる解釈ではありません リベラルにはリベラルの根本主義には根本主義の違う解釈があり、この文言は個人的研究に当たると思います 例え何かの出展があってもそれはその方もしくはその方の考えに近い教会がそう考えるだけです。 なので一度消させてもらいます--ミニラ 2010年1月24日 (日) 18:22 (UTC)[返信]

特に西方教会において、マリアは聖母として信仰の対象となり、処女懐胎は最も重要な教理の一つにまでなった。 と本文にありますが、西方のみならず東方教会の正教会もマリアを崇敬しています。 また、西方教会といいますと、カトリックのみではなくプロテスタントも含まれることになり、言葉的に正確ではありませんので 編集しておきます--ミニラ 2010年1月25日 (月) 17:37 (UTC)[返信]

読み直したところ少し断定的な言い回しが多いように思います の処女懐胎がどういう意味合いを持つかはプロテスタントとその他では大きく違うと思います プロテスタントではマリアはイエスの母ではあるがキリストの母ではないと思います つまり、彼はイエスをうんだだけの普通の一介の罪人であるという考えです ですからこの記事の内容があまりに偏っているように思いますので軽く編集します--ミニラ 2010年1月25日 (月) 17:44 (UTC)[返信]

聖書の四福音書書記は全員

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 えー 聖書の四福音書書記は全員、「ヨセフと、マリアの連れ子イエス」と、「正当なるダヴィデの子孫にしてひこばえ、イエス」を併記している。ていうのと、南方熊楠の『余り茶を飲んで孕んだ話と手孕み村の故事』によると、ある回教の伝承には、「ジブリールが、それこそ上帝の『こんなこともあろうかと、私がひそかに貯蔵していた』アーダムの唾液を携えマルヤムの元に赴き、中に入れたので」イーサーが生まれたというのがあるそうだ(全集四巻、p468) というのは どうしましょう--220.254.1.125 2010年11月19日 (金) 05:20 (UTC)これれ[返信]