ノート:冬の旅
改名提案_2007年3月
[編集]冬の旅を冬の旅(音楽)に改名。もう一つ立原正秋の小説「冬の旅」があるから。--Norio-abc 2007年3月10日(土) 04:42 (UTC)--以上の署名のないコメントは、219.109.48.4(会話/Whois)さんが 2007年3月10日 (土) 08:44 (UTC) に投稿したものです。
- 正しくは[冬の旅 (音楽)](括弧の前に半角スペース)ですが、むしろ[冬の旅 (シューベルト)]でしょう。いずれにしても、立原正秋の小説よりシューベルトの歌曲の方がはるかに有名と思われるので、改名には反対しますが。--Uraios 2007年3月10日 (土) 13:33 (UTC)
- 冬の旅と言えば、シューベルトが一般的だと思うので、私も反対します。--Ss67 2007年3月11日 (日) 09:57 (UTC)
報告 偽署名の人物は改名提案・統合提案・分割提案を乱発していますが、いずれも提案しっぱなしでまともに議論するつもりがないようです。本件についてもテンプレートを削除しました。--Uraios 2007年4月14日 (土) 09:05 (UTC)
記述の除去の報告_2009年10月
[編集]- 「最後の希望」の記述で「ある意味、ヴェーベルン的な曲で、減七の和音の多用により、非常に調性が不安定になっている。この大胆な調性感覚は、非常に革命的で、無調音楽を早くも予感させるものである。」とあったものを削除しました。理由は以下の通りです。
- ヴェーベルン的というのは不適当。「最後の希望」の冒頭のピアノがポツポツと弾かれるのを点描音楽と結びつけたいのでしょうが、ギャップが大きすぎます。初期の「6つのバガテル」や「ピアノとチェロのための3つの小品」でもいいし、後期の「ピアノのための変奏曲」でも「カンタータ」でもいいですが、とにかく似ていません。ヴェーベルン中期の歌曲作品と比較しても似ていません。
- 無調に関してですが、ルネサンス時代のイタリアの作曲家ジェズアルドのほうが時代的にも、調性感の欠如の強さでも先行しています。マドリガルの例えば第5集と第6集のいくつかの曲は半音階の使いかたが極端で、その調性感の欠如は「最後の希望」どころの話ではありません。
--亜顎十郎 2009年10月13日 (火) 16:39 (UTC)
出典の募集
[編集]みなさんこんばんは。
あらためて通して読むと、このページは全体的に「ひときわ人気が高い。」とか「非常に鮮明な印象を残している。」といった主観的な表現に傾いているように見受けられます。もちろん、実際にCDを聴いてみると共感できるのですが、主観に共感するのと、客観的に理解するのはまた別ではありませんか?冬の旅のいち学習者としては、記事の全体を「要出典」でくくりたかったです。(今日の出典追加は、その勢いによるものです)
こういうことをいちいちノートに書くのは違うのかもしれませんが…せっかく解説や逸話が掲載されているのに、出典がほとんどないのは、引用元の資料としては少しさみしいです。(Wikipediaを引用するのがそもそも…という話は脇に置くとして。)
私も今後シューベルトの本を読んで、このページを思い出したときは、今日のように編集しようと思いますが、一人でできることはそう多くないので、助けを求めたいです。よろしくお願いします。
--Nishimura1986(会話) 2013年1月5日 (土) 13:28 (UTC)