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ノート:ダウンフォール作戦

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日本側の本土決戦計画や、それに関する国民の意識については別に項目を立てて記述すべきかと思います(軍部の構想では最終的に本土すら放棄し、皇室と共に満州へ逃れて抵抗を続ける事になっていたとか)。僕が知っていることから判断する限り、「本土決戦に希望を託す国民も数多く存在した」というのは事実とは思えないのですが……--West 2005年6月6日 (月) 13:29 (UTC)[返信]


サリンを含む有機リン系神経剤(いわゆるGガス/G剤)の生産技術は1945年5月のドイツ降伏後に初めて連合国の手に渡ったわけですが、そのサリンがダウンフォール作戦で使用される予定だったとの本項目の記述は、どういった根拠に基づくものか甚だ疑問に感じます。これが書籍等の記述に依拠するものなら、出展を明確にする必要があるのではないかと思われます。なおドイツによる大量の備蓄が確認された神経剤はサリンではなくタブンであることから、本項目の記述を是とするならば、米国ないし英国がサリンおよびその生産技術を驚異的な速度でドイツより接収し、ダウンフォール作戦を含む対日戦争計画にいち早く組み込み、少なくとも戦略兵器として有意な量を急造する生産計画をも立てていたことになります。61.204.5.182 2005年12月29日 (木) 16:32 (UTC)[返信]

結構この話はいくつかの文献に載っています。手元にあるので言えば、

新人物往来社刊、別冊歴史読本戦記シリーズNo59「日本本土決戦」:ISBN 4-404-03017-7 148ページ

に書かれています。しかし、言われてみれば疑問に思いますし、英語版にそのような記述がありませんので、「サリン」の記述だけ削除します。--A6M4 2005年12月30日 (金) 11:41 (UTC)[返信]

サリン使用の準備については、サピオ12月28日号に米軍極秘資料をもとにした米国での報道を出典とした記事「2次大戦末期 米軍は日本本土上陸作戦でサリン攻撃準備」が出ており、ヤフーニュース等でも広く取り上げられていたので、その記事と文章を追加しました。--J343 2011年12月19日 (金) 19:01 (UTC)


コロネット作戦の項に「この内主力は相模湾に上陸する第8軍でYデイ初日に投入される兵力は後方支援要員も含めて301,1004人と、九十九里浜に上陸する第1軍の241,326人を上回っていた[31]。」とあるのですが、300万人は明らかに多すぎますし、桁区切りのコンマの位置もおかしいと思います。該当部分の参考資料を所持していないので判断がつかないのですが…--つらら53会話2021年10月7日 (木) 01:02 (UTC)[返信]