博多丸
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日本郵船が欧州航路用に13隻新造した船の一隻で[2]、スコットランド、グラスゴーのD. W. Henderson社で建造され[3]、1897年5月17日に横浜に到着した[1]。
日露戦争で陸軍に徴傭される(1904年1月16日徴傭、1906年4月28日解傭)[4]。また、第一次世界大戦の青島戦でも陸軍に徴傭され、人員2547名、馬472頭を輸送した(1914年8月19日徴傭、同年10月23日解傭)[5]。
日本郵船は1916年にブラジル移民組合と移民輸送契約を結んで翌年からブラジル移民の輸送を開始し、1918年から「博多丸」はこの南米東岸線で移民輸送を行った[6]。1919年1月26日神戸発の航海では船内で流行性脳脊髄膜炎が蔓延して36名の死者が出たほか、麻疹患者も多数発生した[7]。
1933年5月2日、解撤[8]。
脚注
参考文献
- 貨物課(編)『我社各航路ノ沿革』日本郵船株式會社貨物課、1932年
- 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 日本郵船株式會社(編)『日本郵船株式會社五十年史』日本郵船、1935年
- 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
- 山田廸生『船にみる日本人移民史』中央公論社、1998年、ISBN 4-12-101441-3