コンテンツにスキップ

江戸鶴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松茸 (会話 | 投稿記録) による 2023年3月20日 (月) 12:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

江戸 鶴子(えど つるこ、生年不詳 - 元和7年7月29日1621年9月15日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。

江戸重通の娘で結城秀康の正室。蓮乗院とも [1]

略歴

結城秀康の正室。秀康とは不仲で子供にも恵まれなかったが、秀康の死後、その母長勝院のとりもちで烏丸光広と再婚し、鶴松という子を得た。鶴松は三代松平忠昌のとき越前にきて千石の知行を与えられたが、まもなく死去したという [2]

鶴子は元和7年(1621年)7月29日死去した。越前孝顕寺に葬り蓮乗院華雲妙徹大禅定尼という。

参考文献

  • 『京焼: みやこの意匠と技 : 特別展覧会』(京都国立博物館 、2006年、208p)
  • 『結城市史 - 第4巻』(結城市、1977年、763p)

脚注