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エドワード・ディグビー (1746年没)

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エドワード・ディグビー閣下(英語: Hon. Edward Digby1693年ごろ – 1746年10月2日)は、グレートブリテン王国の政治家。トーリー党に所属し、1726年から1746年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

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第5代ディグビー男爵ウィリアム・ディグビー(1662年 – 1752年)と妻ジェーン(Jane、旧姓ノエル(Noel)、1667年ごろ – 1733年9月10日、初代ゲインズバラ伯爵エドワード・ノエル英語版の娘[2])の三男として、1693年ごろに生まれた[1]

1726年4月に兄ロバートが死去すると[3]、同年5月にウォリックシャー選挙区英語版で行われた補欠選挙においてトーリー党候補として当選した[1]。この時代のウォリックシャーは「ホイッグ党員がほとんどいない州」と言われており、以降ディグビーは1727年1734年1741年の総選挙で再選した[4]

議会では野党の一員として頻繁に演説し、1730年から1734年にかけて常備軍や外国兵士の雇用に反対、1734年に官職法案(Place Bill、官職就任者の議員兼任を禁じる法案)に賛成、1742年にロバート・ウォルポールが首相を辞任するとウォルポール内閣に対する秘密調査委員会に賛成した[1]ウィルミントン伯爵内閣の成立に伴いトーリー党員の一部が与党に転じると、ディグビーは政治に幻滅するようになり、友人の第6代ウォード男爵ジョン・ウォードへの手紙でその心情を吐露した[1]

父と同じくアメリカにおけるジョージア植民地設立のための信託英語版を支持、信託の初代会長(chairman)を務めた[1]

1746年10月2日、父に先立って死去した[2]

家族

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1729年7月10日、シャーロット・フォックス(Charlotte Fox、1778年11月没、サー・スティーブン・フォックス英語版の娘)と結婚、6男1女をもうけた[1][5]

  • エドワード(1730年7月5日 – 1757年11月30日) - 第6代ディグビー男爵[2]
  • ヘンリー(1731年7月21日 – 1793年9月25日) - 第7代ディグビー男爵、初代ディグビー伯爵[2]
  • ロバート英語版(1732年12月20日 – 1815年2月25日) - 海軍軍人、庶民院議員。1784年8月19日、イリナ・エリオット(Eleanor Elliot、1830年7月28日没、アンドルー・エリオットの娘)と結婚、子供なし[6][5]
  • ウィリアム(1733年1月21日 – 1788年9月18日) - 1766年4月14日、シャーロット・コックス(Charlotte Cox、1791年6月27日没、ジョセフ・コックスの娘)と結婚、子供あり[5]
  • スティーブン(1742年5月10日 – 1800年5月30日) - 陸軍大佐。1771年10月1日、ルーシー・フォックス=ストラングウェイズ(Lucy Fox-Strangways、1787年8月16日没、初代イルチェスター伯爵スティーブン・フォックス=ストラングウェイズ英語版の娘)と結婚、子供あり[5]。1790年1月6日、シャーロット・マーガレット・ガニング(Charlotte Margaret Gunning、1794年没、初代準男爵サー・ロバート・ガニング英語版の娘)と再婚、子供あり[5]
  • チャールズ(1743年4月22日 – 1810年9月10日) - 1775年1月5日、プリシラ・メリアー(Priscilla Mellier、1837年12月14日没、ウィリアム・メリアーの娘)と結婚、子供あり[5]
  • シャーロット(1753年6月16日没) - 生涯未婚[7]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Edward (c.1693-1746), of Wandsworth, Surr.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 354–355.
  3. ^ Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Robert (?1692-1726), of Coleshill, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧
  4. ^ Matthews, Shirley (1970). "Warwickshire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧
  5. ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 642–643.
  6. ^ Drummond, Mary M. (1964). "DIGBY, Robert (1732-1815).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧
  7. ^ Collins, Arthur (1779). The Peerage of England: Containing a Genealogical and Historical Account of All the Peers of that Kingdom (英語). Vol. VIII (5th ed.). London. p. 269.

外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
ウィリアム・ペイトー英語版
ロバート・ディグビー閣下
庶民院議員(ウォリックシャー選挙区英語版選出)
1726年 – 1746年
同職:ウィリアム・ペイトー英語版 1726年 – 1734年
サー・チャールズ・モードント準男爵英語版 1734年 – 1746年
次代
サー・チャールズ・モードント準男爵英語版
ウィリアム・クレイヴェン閣下