鉄門 (中央アジア)
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鉄門(てつもん)とは、バルフとサマルカンドの間の隘路である。この隘路はヒサール山脈からアムダリヤ川の方に南北に広がる険しい山脈を抜ける数少ない通り道になっている。そのため紀元前328年にマケドニアのアレクサンドロス3世がここを通って以来[1]、バクトリア・ソグディアナ間の通路として使われ、この地方のどんな権力にとっても重要な隘路だったようである。名前の由来は隘路に聳え立つ鉄で補強された門であり、実際にスルハンダリヤ州のバイスンの西にあったと信じられている[2]。
脚注
- ^ S・ヘディン『カラコルム探検史(上)』白水社、1979年、21頁。
- ^ Alexey V. Arapov.. “Boysun. Masterpieces of Central Asia”. 2014年3月25日閲覧。 “The Iron Gates were located on the old road in the canyon of Dara-i Buzgala-khana 3 km to northwest from Shurob kishlak.”
参考文献
- Soucek,Svat (2000). A History Of Inner Asia. Cambridge University Press. p. 5. ISBN 978-0521657044
座標: 北緯38度13分17.7秒 東経66度54分24.6秒 / 北緯38.221583度 東経66.906833度