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松村数江

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松村数江

松村 数江(まつむら かずえ、1893年明治26年)10月26日[1][2] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚

経歴・人物

岐阜県稲葉郡長良村(現・岐阜市長良)に生まれる[2]1912年(明治45年)3月、岐阜商業学校を卒業し、岐阜県工業試験場書記を拝命[2]1913年(大正2年)渡台し、台湾総督府財務局雇となる[2]

ついで主計課勤務、普通試験書記を経て、1936年(昭和11年)1月、地方理事官に進み、台中州東勢郡守に就任[2]。さらに同州南投郡守に転じた[2]

脚注

  1. ^ 台湾新民報社 1937, 347頁.
  2. ^ a b c d e f 太田 1940, 376頁.

参考文献