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橘永範

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橘永範
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上下野権守
主君 仁明天皇文徳天皇
氏族 朝臣
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橘 永範(たちばな の ながのり)は、平安時代初期の貴族朝臣官位従五位上下野権守

経歴

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承和8年(841年従五位下叙爵相模介官職にあった承和11年(844年)俸料1万束にて墾田を得て、相模国高座郡愛甲郡救急院を設置している[1]

嘉祥3年(850年文徳天皇の即位後に、刑部少輔次いで民部少輔に任ぜられる。仁寿2年(852年下野介に遷ると、斉衡3年(856年)下野権守と、下野国の国司を歴任した。またこの間の仁寿3年(853年)に従五位上に昇叙されている。

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

脚注

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  1. ^ a b c 『類聚三代格』巻12,承和15年3月21日条

参考文献

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