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李の政治思想は、[[北朝鮮]]への[[宥和政策]]を軸とし、[[アメリカ合衆国]]および[[日本]]に対してきわめて厳しい論調をとっている。日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)'''会う必要はない。'''」「'''一体何しに来るのか?'''」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた。<ref>[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000027.html李統一部長官「脱北者ソ氏の米亡命はナンセンス」, 朝鮮日報, 2006/05/04]</ref>2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに[[経済制裁]]発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた。 <ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20060726/20060726_002.shtml 北朝鮮ミサイル問題 韓国統一相の米批判発言を擁護 盧大統領に集中砲火, 西日本新聞, 2006/07/26]</ref>米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と言われ、彼の言動がいかに国際世論と隔絶しているかが分かる。 |
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2006年9月23日 (土) 13:56時点における版
李鍾奭(Lee Jong-seok、イジョンソク)は韓国の政治家、学者。2006年7月現在は盧武鉉政権下で統一部長官を務めている。
略歴
1958年に京畿道で生まれた。ソウルの成均館大学校行政学科を卒業後はアカデミックの道を進み、北朝鮮の政治と南北関係を研究していた。2000年には『現代北朝鮮の理解』との著作を発表している。金大中政権以後の韓国政府が採用している太陽政策を強く支持しており、95年には統一相の政策諮問委員、さらに2000年の南北首脳会談では金大統領に同行して平壌をおとずれた。その後盧武鉉によって国家安全評議会の委員に任命された。2006年2月には統一部長官に任命されており、対北朝鮮政策を取り仕切る立場にたっている。
発言
李の政治思想は、北朝鮮への宥和政策を軸とし、アメリカ合衆国および日本に対してきわめて厳しい論調をとっている。日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)会う必要はない。」「一体何しに来るのか?」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた。[1]2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに経済制裁発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた。 [2]米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と言われ、彼の言動がいかに国際世論と隔絶しているかが分かる。
参照
外部リンク
- "Roh Appoints Ministers Over Lawmakers' Objections", The Chosun Ilbo, February 10, 2006.
- "Official and Unofficial Scrutiny of a Minister-to-Be", The Chosun Ilbo, February 6, 2006.
- "New policymaker for North preceded by his reputation", The Joongang Daily, January 14, 2006.