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イセンビケ・トガン(1940年[[イスタンブル]]生まれ)トルコの歴史作家、研究テーマは中央アジアと中国史。トルコ史と歴史家のゼキ・ベリディ・トガンの娘である。
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== 研究生活 ==
== 研究生活 ==

2015年12月18日 (金) 13:43時点における版

イセンビケ・トガン(1940年イスタンブル生まれ)トルコの歴史作家、研究テーマは中央アジアと中国史。トルコ史と歴史家のゼキ・ベリディ・トガンの娘である。

研究生活

中等教育をイスタンブルのドイツ高校を卒業後、イスタンブル大学文学部歴史学科を1964年に卒業した。1964年~66年にトルコ史を中国の資料から読み解くために中国政府奨学金で国立台湾大学で中国語教育を受け、学部卒業した。1967年~68年にはイスタンブル大学文学部で中国語講師を務めると同時にアンカラ大学で博士課程を開始したが、すぐ後にフルブライト奨学金を得て米国でハーバード大学での博士課程の為渡米した。1968年~73年に中央アジア史についてトルコ、モンゴル、中国の資料を使って調査して博士課程を終え、『』という題名の論文で東アジア言語学科から卒業した。

トルコへ戻ってからは1974年~78年にハジャテペ大学(在アンカラ)トルコ言語・文学部にてトルコ文化史とモンゴル語の授業を受け持った。1975年~76年にはハーバード中東研究センターで研究生活を続けた。1978年~84年には中東工科大学政治科学部に籍を置き、1980年~82年に中東賞奨学金でスーダンへ渡航し研究を行った。

1984年に、中東工科大学で歴史学科で設立されてからはトルコ史と中世史の授業を受け持った。1985年に再度渡米し1987年まではハーバード大学、ふぇあばんく東アジア研究センターとハーバード中東研究センターで研究を行った。1987年~89年にはウェレスレイとトフス大学で授業を受け持った。

1989年~92年にあはワシントン大学歴史学科で中央アジア史、近東史、中国史の授業を担当した。

1990年にユネスコ中央アジア言語委員会、ユネスコシルクロード研究プロジェクトで1990年に中華人民共和国と1991年にウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギスタンで研究を行った。1992年にトルコへ戻り、中東工科大学で教え続けた。1995年に教授となり、2006年に中東工科大学歴史学部から退職し、ボアズィチ大学で中国史の授業を受け持った。トルコ歴史協会、トルコ・ロシア歴史家委員会のメンバーでもある。