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'''ウィットナー'''({{lang-en|Wittnauer Watch Co.}} )は、かつて存在した[[アメリカ合衆国]]の時計輸入業の企業である。現在は[[ブローバ]]のブランドのひとつ。
'''ウィットナー'''({{lang-en|Wittnauer Watch Co.}} )は、かつて存在した[[アメリカ合衆国]]の時計輸入業の企業・時計メーカーである。現在は[[ブローバ]]のブランドのひとつ。


[[1880年]](明治13年)、[[スイス]]から[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系スイス人]]移民の「アルベルト・ヴィットナウアー」こと'''アルバート・ウィットナー'''({{lang-en|'''Albert Wittnauer'''}})が義弟とともに創業した。
[[1880年]](明治13年)、[[スイス]]から[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系スイス人]]移民の「アルベルト・ヴィットナウアー」こと'''アルバート・ウィットナー'''({{lang-en|'''Albert Wittnauer'''}})が義弟とともに創業した。


アガシズ(Agassiz)、[[アンジェラス]]、[[オーデマ・ピゲ]]、[[ロンジン]]<!-- 特に関係が深く「ロンジンのアメリカ向けブランド」と解説されることも多い程であるが別会社である。-->、トーション(Touchon)等のスイス時計を輸入した。後には、アメリカが輸入時計に課した関税が高かったためスイスで時計を完成させずキャリバー状態で輸入し、アメリカでケースを付け完成させウィットナーブランド販売するビジネス形態創り出メーカー化した。
アガシズ(Agassiz)、[[アンジェラス]]、[[オーデマ・ピゲ]]、[[ロンジン]]<!-- 特に関係が深く「ロンジンのアメリカ向けブランド」と解説されることも多い程であるが別会社である。-->、トーション(Touchon)等のスイス時計を輸入した。アメリカが輸入時計に高い関税を課したため、後には、エボーシュ(半完成機械)をスイスから輸入し、アメリカ国内組立、自社ブランドのケースに入れて販売するようになった。エボーシュ供給メーカーが[[レビュー・トーメン]](Revue-Thommen)だっため、「Wittnauer Revue」というブランド銘が文字盤に表記されているものもある


[[1956年]](昭和31年)に[[ボルシー]]を買収してカメラ業界に参入、翌[[1957年]](昭和32年)から[[1960年]](昭和35年)までの間、[[ブラウン (企業)|ブラウン]]のカメラを輸入販売した。
[[1956年]](昭和31年)に[[ボルシー]]を買収してカメラ業界に参入、翌[[1957年]](昭和32年)から[[1960年]](昭和35年)までの間、[[ブラウン (企業)|ブラウン]]のカメラを輸入販売した。

2012年11月28日 (水) 07:12時点における版

ウィットナー英語: Wittnauer Watch Co. )は、かつて存在したアメリカ合衆国の時計輸入業の企業・時計メーカーである。現在はブローバのブランドのひとつ。

1880年(明治13年)、スイスからドイツ系スイス人移民の「アルベルト・ヴィットナウアー」ことアルバート・ウィットナー英語: Albert Wittnauer)が義弟とともに創業した。

アガシズ(Agassiz)、アンジェラスオーデマ・ピゲロンジン、トーション(Touchon)等のスイス時計を輸入した。アメリカが輸入時計に高い関税を課したため、後には、エボーシュ(半完成品の機械)をスイスから輸入し、アメリカ国内で組立て、自社ブランドのケースに入れて販売するようになった。エボーシュを供給したメーカーがレビュー・トーメン(Revue-Thommen)だったため、「Wittnauer Revue」というブランド銘が文字盤に表記されているものもある。

1956年(昭和31年)にボルシーを買収してカメラ業界に参入、翌1957年(昭和32年)から1960年(昭和35年)までの間、ブラウンのカメラを輸入販売した。

脚注