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==主な編・著書==
==主な編・著書==
*『温古堂先生・万病を治せる妙療法』農山漁村文化協会
*『温古堂先生・万病を治せる妙療法』 1977年、農山漁村文化協会
*『からだの設計にミスはない・操体の原理』柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
*『からだの設計にミスはない・操体の原理』 2002年、柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
*『論想集・生体の歪みを正す』1987年、創元社
*『論想集・生体の歪みを正す』 1987年、創元社
*『SOTAI 操体法写真解説集』橋本 敬三監修・川上 吉昭編、柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
*『SOTAI 操体法写真解説集』橋本 敬三監修・川上 吉昭編、柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
*『写真・図解 操体法の実際』橋本 敬三監修・茂貫 雅嵩編著、農山漁村文化協会
*『写真・図解 操体法の実際』 1980年、橋本 敬三監修・茂貫 雅嵩編著、農山漁村文化協会 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
*『誰にもわかる操体法の医学』農山漁村文化協会
*『誰にもわかる操体法の医学』 1986年、農山漁村文化協会


橋本敬三医師の著作に共通しているのは、書き下ろしがない、ということだ。
橋本敬三医師の著作に共通しているのは、書き下ろしがない、ということだ。

2011年2月14日 (月) 20:00時点における版

橋本 敬三(はしもと けいぞう、明治30年(1897年)、福島市 - 平成5年(1993年)1月、仙台市)は仙台を拠点として活躍した医師。伝統的に行われていた治療法にヒントを得て、操体法 という画期的な健康法・治療法を確立した。

大正10年(1921年)新潟医専卒業。大正12年(1923年)東北帝大医学部・藤田俊彦教授のもとで生理学を専攻。大正15年(1926年)函館の民間病院に赴任。翌昭和2年(1927年)より函館市の学校衛生技官。昭和4年(1929年)、同市の民間病院に移り、外科を担当。昭和8年(1933年)、独立して診療所を開設。

昭和16年(1941年)、仙台に「温古堂医院」を開設。戦時中、一時ソビエト連邦に抑留されたが、昭和23年(1948年)帰国。以後、仙台で操体法の研究を深めた。平成5年(1993年)老衰のため死去。[1]

次のような編・著書がある。

主な編・著書

  • 『温古堂先生・万病を治せる妙療法』 1977年、農山漁村文化協会
  • 『からだの設計にミスはない・操体の原理』 2002年、柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
  • 『論想集・生体の歪みを正す』 1987年、創元社
  • 『SOTAI 操体法写真解説集』橋本 敬三監修・川上 吉昭編、柏樹社 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
  • 『写真・図解 操体法の実際』 1980年、橋本 敬三監修・茂貫 雅嵩編著、農山漁村文化協会 (2005年現在:たにぐち書店より復刻版出版)
  • 『誰にもわかる操体法の医学』 1986年、農山漁村文化協会

橋本敬三医師の著作に共通しているのは、書き下ろしがない、ということだ。 「万病を治せる・・」は農文協の「現代農業」誌に掲載されていたものである。 「論想集」「からだの設計」は、橋本が医学誌等への寄稿原稿をまとめたもの。 (この2冊は重複している箇所がある)。 「写真解説集」「写真・図解 操体法の実際」は、いずれも監修。

この他 「鍼灸による即効療法運動力学療法」医歯薬出版(株)共著 「地湧きの思想」柏樹社 共著がある。

脚注

<references>

  1. ^ 『論想集・生体の歪みを正す』1987年、創元社、著者略歴による。