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2009年10月22日 (木) 10:47時点における版

ファイル:Die Uniformen der Allgemeinen SS 32-45.jpg
一般親衛隊の黒服の制服のイラスト

一般親衛隊(Allgemeine SS)は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)の親衛隊(SS)のうち武装親衛隊(waffen-SS)をのぞいた全ての親衛隊組織を指す。武装親衛隊員は軍人扱いで国防軍軍人が持つ給与支給帳(Soldbuch)と軍歴手帳(Wehrpaß)を所持していたが、一般親衛隊員は軍人とは認められていなかったのでこれを所持していなかった。

概要

1934年に親衛隊内部に戦闘部隊の親衛隊特務部隊(SS-VT、後の武装親衛隊)が創設されるとともに非戦闘員の親衛隊員は「一般親衛隊(アルゲマイネSS)」と呼ばれるようになった。一般親衛隊に分類される親衛隊機関は国家保安本部経済管理本部などが有名である。名誉隊員やパートタイム隊員なども一般親衛隊に分類される。1939年8月に一般親衛隊員は48万5000人ほどだった(うち18万人は予備役)。

しかし第二次世界大戦開戦で一般親衛隊員も動員され、17万人が国防軍にとられ、3万5000人が武装親衛隊に取られた。10万ほどの隊員のみが一般親衛隊に残されるだけとなった。しかし長期化・泥沼化する戦争によってさらに一般親衛隊員が動員されていった。1945年の親衛隊員総数は84万人だったが、このうち一般親衛隊員は4万8500人にとどまっている(一方武装親衛隊は60万人)。戦時中、一般親衛隊は規模も重要性も名声も武装親衛隊に後れを取ることとなった。かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという(ただ戦時中には一般親衛隊員は灰緑色の制服を着用している者が多く、黒服はパートタイム隊員や占領地の外国人隊員など一部の者が着用していたにとどまる)。

なお強制収容所の運営にあたっていた親衛隊髑髏部隊員は一般親衛隊と思われがちであるが、実際には武装親衛隊扱いで給与支給帳(Soldbuch)や軍歴手帳(Wehrpaß)も所持していた。ただ彼らを統率していた経済管理本部は一般親衛隊で占められていた。

階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに突撃隊(SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば親衛隊二等兵の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に親衛隊一等兵も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として親衛隊准尉(SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに親衛隊少将以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は親衛隊階級を参照のこと。

参考文献