「アルブレヒト (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)」の版間の差分

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2009年5月20日 (水) 08:32時点における版

1634年の肖像
1643年の肖像

アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハAlbrecht von Brandenburg-Ansbach1620年9月18日 アンスバッハ - 1667年10月22日 アンスバッハ)はフランケン地方アンスバッハ侯領辺境伯

アルブレヒトは、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンストとその妻ゾフィー・フォン・ゾルムス=ラウバッハの次男。父ヨアヒム・エルンストの死後、兄のフリードリヒ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが初めは母親の後見下でアンスバッハ侯領の統治を行った。だがフリードリヒは1634年三十年戦争ネルトリンゲンの戦いで命を落とした。彼は、結婚しておらず、後継者がなかったため、弟のアルブレヒトが遺領を継ぐこととなった。アルブレヒトの場合も、最初の数年間は母親が後見と実務を行った。1639年に成人した後は、単独でブランデンブルク=アンスバッハ侯領の統治を行った。

子供たち

参考文献

  • M. Spindler, A. Kraus: Geschichte Frankens bis zum Ausgang des 18. Jahrhunderts, München 1997. ISBN 3-406-39451-5

この文献は、ドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。

外部リンク

先代
フリードリヒ
ブランデンブルク=
アンスバッハ辺境伯
1634 - 1667
次代
ヨハン・フリードリヒ