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『説文解字』は現在に伝わっており、『淮南鴻烈間詁』も現行本『淮南子』の注21篇のうち8篇に採用されている。『五経異義』は散佚したが、[[清]]の[[陳寿祺]]によって輯佚された『五経異義疏証』がある。
『説文解字』は現在に伝わっており、『淮南鴻烈間詁』も現行本『淮南子』の注21篇のうち8篇に採用されている。『五経異義』は散佚したが、[[清]]の[[陳寿祺]]によって輯佚された『五経異義疏証』がある。

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*[http://www.shuowenjiezi.com] Shuowen online dictionary with Duàn Yùcái "說文解字注", "釋名 Shiming", "爾雅 Erya", "方言 Fangyan", "廣韻 Guangyun" définitions and glosses - Alain Lucas and Jean-Louis Schott


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2008年10月10日 (金) 09:14時点における版

許慎

許慎(きょしん ピンイン:Xǔ Shèn 58年? - 147年?)は、後漢時代の儒学者・文字学者。最古の部首漢字字典説文解字』の作者として知られる。姓は許、名は慎、字は叔重。汝南召陵(現河南省郾城県)の人。経書をひろく学び、賈逵(かき)から古文学を受けた。古文経学の大家の一人。馬融は常に彼を尊敬していたという。世に「五経無双の許叔重」と称せられた。汝南郡の功曹となり、孝廉で中央に挙げられ、太尉南閣祭酒、洨長を任じられた。

著書に『五経異義』『説文解字』『淮南鴻烈間詁』がある。『五経異義』は古文学の立場から経学を論じたものだが、後に鄭玄は『五経異義』を反駁して『駁五経異義』を著している。

『説文解字』は現在に伝わっており、『淮南鴻烈間詁』も現行本『淮南子』の注21篇のうち8篇に採用されている。『五経異義』は散佚したが、陳寿祺によって輯佚された『五経異義疏証』がある。

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