「アルブレヒト (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)」の版間の差分
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2008年4月30日 (水) 01:51時点における版
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ(Albrecht von Brandenburg-Ansbach、1620年9月18日 アンスバッハ - 1667年10月22日 アンスバッハ)はフランケン地方アンスバッハ侯領の辺境伯。
アルブレヒトは、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンストとその妻ゾフィー・フォン・ゾルムス=ラウバッハの次男。父ヨアヒム・エルンストの死後、兄のフリードリヒ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが初めは母親の後見下でアンスバッハ侯領の統治を行った。だがフリードリヒは1634年に三十年戦争、ネルトリンゲンの戦いで命を落とした。彼は、結婚しておらず、後継者がなかったため、弟のアルブレヒトが遺領を継ぐこととなった。アルブレヒトの場合も、最初の数年間は母親が後見と実務を行った。1639年に成人した後は、単独でブランデンブルク=アンスバッハ侯領の統治を行った。
子供たち
- 最初の結婚: 1642年。ルートヴィヒ・フリードリヒ・フォン・ヴュルテンベルク=メムペルガルトの娘ヘンリエッテ・ルイーゼ・フォン・ヴュルテンベルク(1623年 - 1650年)
- ゾフィー・エリーザベト(1643年 - 1643年)
- アルベルティーネ・ルイーゼ(1646年 - 1670年)
- ゾフィー・アマリー(1649年 - 1649年)
- 2度目の結婚: 1651年。ゾフィー・マルガレーテ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲン(1634年 - 1664年)
- ルイーゼ・ゾフィー(1652年 - 1668年)
- ヨハン・フリードリヒ(1654年 - 1686年)ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
- アルブレヒト・エルンスト(1659年 - 1674年)
- ドロテーア・シャルロッテ(1661年 - 1705年)ヘッセン=ダルムシュタット方伯エルンスト=ルートヴィヒと結婚
- エレオノーレ・ユリアーネ(1663年 - 1724年)ヴュルテンベルク=ヴィンネンタール公カール・フリードリヒと結婚
- 3度目の結婚: 1664年。バーデン=ドゥルラッハ辺境伯フリードリヒ6世の娘クリスティーネ・フォン・バーデン=ドゥルラッハ(1645年 - 1705年)
参考文献
- M. Spindler, A. Kraus: Geschichte Frankens bis zum Ausgang des 18. Jahrhunderts, München 1997. ISBN 3-406-39451-5
この文献は、ドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
外部リンク
- Albrecht (Brandenburg-Ansbach)のリンク集 im VD 17(17世紀のドイツ語圏の歴史に関するリンク集)
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