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'''ウィーン体制'''は、[[ウィーン条約]]以後の[[ヨーロッパ]]世界の体制。[[1848年]]の[[フランス]][[二月革命]]後の完全崩壊まで続く、国際的[[反動体制]]。[[フランス]][[外相]][[タレーラン・ペリゴール]]の[[正統主義]]を基に、[[フランス革命]]以前の状態を復活させ、大国の[[勢力均衡]]を図った。[[神聖同盟]]・[[四国同盟]]を中心に、[[自由主義]]・[[国民主義]]運動を抑圧。[[1848年革命]]で一気に抑圧されたものが噴出し、崩壊した。 |
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==[[ウィーン議定書]]における領土変更== |
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*[[ノルウェー]]・・[[スウェーデン]]と同君連合になる。 |
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2005年1月27日 (木) 10:33時点における版
ウィーン体制は、ウィーン条約以後のヨーロッパ世界の体制。1848年のフランス二月革命後の完全崩壊まで続く、国際的反動体制。フランス外相タレーラン・ペリゴールの正統主義を基に、フランス革命以前の状態を復活させ、大国の勢力均衡を図った。神聖同盟・四国同盟を中心に、自由主義・国民主義運動を抑圧。1848年革命で一気に抑圧されたものが噴出し、崩壊した。
ウィーン議定書における領土変更
- ノルウェー・・スウェーデンと同君連合になる。
- フィンランド・ベッサラビア・・ロシア領になる。
- ポーランド立憲王国・・ワルシャワ大公国の大部分で形成。ロシア皇帝が王を兼ね、事実上のロシア領となる。(第四次ポーランド分割)
- セイロン島(スリランカ)・・イギリスがオランダより獲得。
- ケープ植民地・・イギリスがオランダより獲得。
- マルタ島・・イギリス領になる。
- ロンバルディア・ヴェネツィア・・オーストリア領になった。
- オランダ立憲王国・・オーストリア領南ネーデルラント(1830年、独立しベルギー成立)を併合し復活。
- ドイツ連邦・・ライン同盟を廃止。35の君主国と4自由市で構成した国家連合。オーストリアが盟主。1866年まで存続。
- スイス・・5州を加え永世中立国として承認された。