コンテンツにスキップ

「ノート:音名/過去ログ3」の版間の差分

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
削除された内容 追加された内容
CompUTOSer (会話 | 投稿記録)
m 「誤読」のはじまった部分をしてきていく打差委。
最初から違ってます
114行目: 114行目:
:#だから、「音楽事典の定義はEnharmonionさんの主張、意見と関係がないのだから、矛盾するもしないもない。」と読めると思いました。
:#だから、「音楽事典の定義はEnharmonionさんの主張、意見と関係がないのだから、矛盾するもしないもない。」と読めると思いました。
:いかがですか?[[利用者:CompUTOSer|compUT/OSer]] 14:10 2004年6月1日 (UTC)
:いかがですか?[[利用者:CompUTOSer|compUT/OSer]] 14:10 2004年6月1日 (UTC)

いきなり最初から論理的な間違い(全称命題を特称命題へすり替え)をしてます。これは「論理学的に正しいですね?」に反応して重箱の隅をつついているのではありませんよ。A(全称命題)とはB(特称命題)という意味ですね?──とありますけれども、BがAに含まれてはいますが同じ意味ではありません。含まれているならBと言ってるのと同じだと反論すると思うので、先に言っておきます。「1000円払った」は「500円は払った」ことを含みますが、それぞれ言いたいことが違います。むしろ重要なのは、表現が違っていることです。表現が違えば、言いたいことも伝わることも違ってきます。それはニュアンスの違いとして現れる場合もありますが、今回の件はニュアンスどころではありませんから念のため。これは即席で考えた例ですから、反論するところを間違えないでください。要するに、全称命題を全称命題として理解しないところから歪みが生じていると考えます。[[利用者:Enharmonion|Enharmonion]] 15:59 2004年6月1日 (UTC)
|}
|}



2004年6月1日 (火) 15:59時点における版

すみません、間があいたので、仕切直ししたいのですが。
Enharmonionさんにとっては、またそこに戻るのか、になると思いますが、どうも今ひとつ、納得し切れていない自分がいます。
質問です。

  1. システムでない(従って音名とは呼べない)音名の様な物があるとすれば、それはどういうものですか?
  2. C♯4をC♯と呼んでも音名ですが、Cと呼んではそれは音名として正しくありません。そのことを、どう考えますか?
(1)「従って音名とは呼べない」を無視し、「音名の様な物」を「音名と同列において比較すべき物」と解釈して答えますと。。
音名の前身(ABCDEFG,HIKLMNO,P)
中国あるいは日本における十二律のそれぞれ(黄鐘、・・)
なるほど。で、「従って音名とは呼べない」を無視したところから察するに、Enharmonionさんも、これらを「音名とは呼べない」とはお考えでないのですね?compUT/OSer 15:50 2004年5月21日 (UTC)
音名の定義を問題にしているのに、音名という語を安易に使うことが問題であることに気がつきませんか? その点に抵触するから「従って音名とは呼べない」を無視したのであって、あなたの「察し」は見当違いです。
しかし音名の前身や十二律を含むように音名を定義することはできる──こう私が考えているのは事実です。何度も申しているように、これから展開しようとする議論や、これから書こうとする記事の土台として相応しいか定義を選ぶべきです。私は音名の前身や十二律を主体に含まない記事を書くべきと言う立場にあるだけです。Enharmonion 17:23 2004年5月21日 (UTC)
確かに、歴史的に使われた音名や、非西洋音楽の音名を、音名から外して考えることはできるでしょうけれど、それが一般に受け入れられる概念かどうかは検討しなければなりません。たとえば、それらに別の名前が付いているならば話は簡単です。(声明における楽譜相当のものを博士というような。この場合は、声明の音を記したものを「楽譜」とは呼ばないのですから、「楽譜」から外して考えることが可能です。)実際、どうなんでしょう??compUT/OSer 16:32 2004年5月22日 (UTC)
何について回答差し上げればよいのでしょうか? あるいは回答は不要でしょうか?Enharmonion 17:57 2004年5月22日 (UTC)
すみません、回答はすでにいただいております。ありがとうございました。compUT/OSer 23:51 2004年5月23日 (UTC)
(2)どう考えますかと言われても、答えかねますよ。「C♯4をC♯と呼んでも音名ですが」は誰もが正しいと認める事柄でないのだから、これを枕において「Cと呼んではそれは音名として正しくありません。そのことを、どう考えますか?」と聞かれても困るんです。
定義次第で議論の流れも記事の書き方も変わってくるのですよ。定義の何たるかについては一度ならず触れてきたと思いますが? 仕切り直しにも程があるでしょうが。
あなた自身「C♯4」「C♯」「C」が異なる概念であることは認識した上で、「C♯4」と「C♯」とを一括りにする立場が可能だと思ってるんでしょ? その立場で音名を定義するなら、「C」が音名でないのは当然。でも「C♯4」だけが音名だとする立場なら、「C♯」だって音名ではない。さらには3つすべてを音名と定義することも不可能ではないし、議論いかんによっては有効な場合がある。あなたの定義「音名とは、音楽において用いられる音の高さの呼び名」は、まさに「C」を音名と看做す余地を与えていることに気づいてますか? Enharmonion 10:18 2004年5月21日 (UTC)
わかりました。ここに最大の誤解があります。私は少なくとも、中央Cの増1度上の音を単にC♯と呼ぶように習いました。日本中の音楽大学が、同じだと思います(ただし、ドイツ音名が普通ですが)。もちろん、Cと呼んではいけない、とも習いました。
もし、オクターブ名を付けなければ音名と呼べないならば、コードネームのC♯は音名でなく、調性のC♯ minorのC♯も音名でなくなりますが、Enharmonionさんはそうお考えなのですか?compUT/OSer 15:45 2004年5月21日 (UTC)
ですから定義次第だと何度言わせるんですか? 私は「C#」を音名とする定義も、「C#4」こそを音名とする定義も必要に応じて使い分けることができると言ってるんですが。したがって後半の質問は無効です。
ところで臨時記号がつかない場合も音名だと私が主張しているような論調ですが、もともと私が触れていないものを俎上にもってきたのはあなたですよ。それを無視せずに、私の意見の中で触れただけのことです。私の立場には、あってもなくてもよいものです。
あと前半は臨時記号のあるなし、後半はオクターブ名のあるなしの話でよいのですよね。この解釈が間違っていると、頓珍漢なことを言っていることになってしまうので。Enharmonion 17:23 2004年5月21日 (UTC)
面目ないことではありますが、私がわかっていないから質問しているので、なにもEnharmonionさんと論議している、というようなつもりはありません。
定義次第とおっしゃいますが、Enharmonionさんはどちらの定義がしっくりくるのですか?
臨時記号のことですが、蛇足だったかも知れません。しかし、臨時記号の方はフレキシビリティーがなく、オクターブの方はフレキシビリティーがある、それをシステムとしてどうとらえるのか、ということです。compUT/OSer 16:32 2004年5月22日 (UTC)
過去のやり取りからも明らかなように、「C#4」は音名である──この表現が定義と衝突せずに使用できる定義が百科事典には相応しいと考えます。Enharmonion 17:57 2004年5月22日 (UTC)
それはわかっています。ただ私は、これまで行われてきた様々な定義を包含するか、一つに包含することができないならばそれらを列挙することも、必要だと思います。それについてどう思われますか?compUT/OSer 23:51 2004年5月23日 (UTC)
まったくの同意見です。しかしそれは百科事典として当然だし、いままで両者の間で論点として取り上げられたこともないですよね。私ががそんな基本的なことを理解していないとお疑いですか?
一点、非公式な意見があるのでCompUTOSerさんのノートに書かせて頂きます。Enharmonion 07:50 2004年5月24日 (UTC)

これまでの対話の中で、

  • 歴史的な「音名様のもの」や、中国や日本の伝統的な「音名様のもの」は、システムではない、
  • 「これまで行われてきた様々な定義を包含するか、一つに包含することができないならばそれらを列挙すること」は当然である。

はいいのですね。
ところで、システムではない「音名様のもの」は、音楽事典などで、音名として定義されたことがありますよね??compUT/OSer 09:07 2004年5月24日 (UTC)

基本的にはそれでよいのですが、のちの議論が無駄に流れるのを懸念して布石を打っておきます。歴史的なものはピッチの順序に関してだけはシステムになっている。中国や日本のものは完全にシステムではないと認識しているが、たとえば鐘がつくもの(黄鐘・淋鐘・応鐘だったか?)が意味あって配置されているかもしれない。少なくとも私には読み取れないけれども。「列挙」が文字通り並べるだけ、あるいは簡単な解説をつけて並べる程度の意味ではないと解釈している。
後段については質問の意味が汲み取れません。私が? 一連の議論のどこかであなたが? 過去にどこぞの音楽学者が? 音楽辞典の類いで? 「された」が受け身なのか、敬語なのかはっきりすれば少しはましですが。仮に敬語だったとしたら、ノーですが。Enharmonion 10:06 2004年5月24日 (UTC)

「後段」については、「音楽事典の類で」です。音楽之友社の「標準音楽事典」の音名の項に、「中国・日本の伝統音楽の音名」という項があります。

その部分のコピーをもってますので確認しましたが、その項「(4)中国・日本の伝統音楽の音名」において定義が書かれているようには見えません。ただしコピーはp362-363のみなので、この記事「音名」全体のリード部分でどの範囲の「音名様のもの」がどう定義されているかは確認できません。Enharmonion 16:55 2004年5月25日 (UTC)

変ですね。私の手元の「標準音楽事典」ではp216〜217です。ちなみに昭和50年4月発行の第1版第13刷です。
音名の定義としては、最初に、「ある音組織を成立させる音のひとつひとつを,それぞれの音高によって区別し決定した音の固有名のことである。」とあります。
それだけで中、日の音名を含むかどうかは明確でないにしても、「音名」の項目の中に「(5)中国・日本の伝統音楽の音名」という小項目があるのですから、この辞典では「音名」に中、日の伝統音名を含むと考えていると読みとっていいのではないでしょうか?compUT/OSer 13:14 2004年5月26日 (UTC)

私の指摘は「定義されてはいない」です。いま相当に微妙な問題を議論しているのに、そこを曖昧にするのは理解できません。「システムではない「音名様のもの」は、音名として定義されたことがありますよね?」というご自身の発言を矮小化することになりますよ。買いかぶりかも知れませんが。Enharmonion 15:16 2004年5月26日 (UTC)

そうですね。明確には定義していません。しかし、次の2点から、中国や日本のそれも音名であると認識している、と考えられませんか? もしそうならば、定義しているも同然だと思うのですが....

  1. 「ある音組織を成立させる音のひとつひとつを,それぞれの音高によって区別し決定した音の固有名のことである。」との定義から、中国や日本のそれがはみ出すとは思えません。
  2. この項ではいくつかの「音名」を列挙しています。そのひとつが「(5)中国・日本の伝統音楽の音名」です。「音名」の名の下に、西洋音楽のそれと中国・日本の伝統音楽のそれが同列に並んでいます。このことからも、中国や日本のそれを、音名であると認識しているとしか見えません。compUT/OSer 13:24 2004年5月27日 (UTC)
その項目に関して、仰るとおり、定義してるも同然です。それでもとに戻りますと。。
「システムではない「音名様のもの」は、音名として定義されたことがありますよね??」に対する私の回答は「イエス」となるわけですが、要するに「音楽辞典にそのような定義が書かれていること」を確認したかっただけのことなんですね(これにて本線復帰)。「標準音楽事典」をはじめ多くの辞典が類似の定義をあげていることと私の主張これまで述べてきた意見は何ら反する点はないし、また私がその「標準音楽事典」における定義が間違っているなどと言うことはあり得ませんありません。「矮小化」については深読みし過ぎでした。Enharmonion 16:20 2004年5月27日 (UTC)--Enharmonion 17:41 2004年5月28日 (UTC)--Enharmonion 16:41 2004年5月29日 (UTC)

すみません、「私の主張」、「その定義」とは、

  1. 「C#4」は音名である──この表現が定義と衝突せずに使用できる定義
  2. 音名とは、音の高さの呼び名を系統的に与えるシステム、および個々の呼び名をいう。

のどちらのことですか?compUT/OSer 16:28 2004年5月28日 (UTC)

議論の要約を自動化する目的で、言葉足らずを修正しました。私の文言に不明な点が無くなったとお考えならば、この二重線内を削除して頂けますか? まだ疑問があれば、この枠内にどうぞ。同様にCompUTOSerさんがご自分の書き込みを修正するのであれば、私の指摘や反駁を削除するつもりです。どこまで遡っても結構ですし、それに時間をかけてもよいかと思います。このような長々とした議論(そのほとんどは不完全な発言に対して説明を求めた結果、話の筋を見失ったものばかり)を残しておいても、誰も読みはしないでしょうから。Enharmonion 17:41 2004年5月28日 (UTC)

(線だとわかりにくいのでにしました。)
今度は3様に読めます。

  1. 音楽事典の定義は私の主張、意見と関係がないので、矛盾するもしないもない。
  2. 音楽事典の定義は、「C#4」は音名であるという表現が定義と衝突せずに使用できる定義である。
  3. 音楽事典の定義は、「音名とは、音の高さの呼び名を系統的に与えるシステム、および個々の呼び名をいう。」という定義に矛盾しない。
蛇足でしたので削除します。よろしければ、枠ごと削除してください。まだなお疑問があればどうぞ。Enharmonion 16:41 2004年5月29日 (UTC)

すみません。2晩考えましたが、わかりません。どれでしょうか? また、そのいずれでもないのでしょうか?compUT/OSer 15:36 2004年5月31日 (UTC)

「音楽辞典に上記のような定義が書いてある事実」と「私のこれまで述べてきた(すべての)意見」とが反しないと書きました。これを「音楽辞典に書かれた上記のような定義」と「私のこれまで述べてきた(すべての)意見」とが反しない──というふうに誤読してると思われます。よろしければ、枠ごと削除してください。Enharmonion 03:15 2004年6月1日 (UTC)

Enharmonionさんは、

  • 歴史的な「音名様のもの」や、中国や日本の伝統的な「音名様のもの」は、システムではない、
  • 「これまで行われてきた様々な定義を包含するか、一つに包含することができないならばそれらを列挙すること」は当然である。

に同意なさっています。ということは、「上記のような定義(中国や日本の伝統的な「音名様のもの」は音名である)」を含んだ定義をすべきだ、ということでしょうか?compUT/OSer 08:48 2004年6月1日 (UTC)

その質問はこの枠の外で(この枠が削除されてから)すればいいでしょ。お願いだから、議論が収束するようにしてくださいよ。私があなたとの会話を成立させるために、どれだけ工夫をしているか分からないでしょうね。つぎの項目だって、私が議論を有利に進めるためにあなたの言質をとるような形式にならないように、この議論に、そして何よりもあなたに配慮しているからですよ。「上の議論が済んでから取り組みたいと思います」とはっきりと断っているのを無視するのはどうなんでしょうね。それより誤読の件はどうなんですか? それに答えてから次に進むのが道理でしょうが。Enharmonion 09:16 2004年6月1日 (UTC)

無視したのはすみません。
この件については、私は疑問符がとれていないのですよ。だから、伺っているのです。これまでの話から、08:48 2004年6月1日の私の質問が出てきたのですが、おっしゃるとおりその部分が誤読であるならばここはNoですよね。でもどうしてそこが、どうしてNoになるのか、うまく私の中で結びつかないのです。compUT/OSer 09:24 2004年6月1日 (UTC)

誤読した上での質問(と私が判断した)だから、イエスもノーもないんですよ。表面的にイエス・ノーを答えてあなたが私の意見を誤解していくのが目に見えてます。ご自分の誤読に納得したら、質問の「表現」が変わるはずですよね(3様に読めますの部分)。それとも「音楽事典の定義(として書かれていること)は、私が述べてきたことと矛盾しない」と「音楽辞典に定義が書かれている事実は、私が述べてきたことと矛盾しない」との違いが分からないのですか?
あえて言いますが、細かい言い回しに気をつけてください。「おっしゃるとおりその部分が誤読であるならば」は「おっしゃるとおりその部分は誤読ですが(かもしれないが)」を意味しませんし、私はそのつもりで回答しています。これは議論の正しい方法です。つまりあなたは誤読であったかどうかをまだ明確にしてません。そういう意図であるならば問題はありませんが。Enharmonion 09:54 2004年6月1日 (UTC)

たしかに、5月28日の部分で、誤読していますね。compUT/OSer 10:02 2004年6月1日 (UTC) で、「誤読」に気づいたからこそ、29日の署名を書き忘れた部分の#1の質問になっているわけです。compUT/OSer 10:06 2004年6月1日 (UTC)

その回答はおかしい。現段階で私が誤読を指摘しているのは29日の署名を書き忘れた部分の#1の質問(#2も#3も)も含めてですよ。私が誤読を指摘したのは、この質問のあとですから。しかも誤読の説明にあげているのは#1の質問を簡略化したものだし。#1の質問(#2も#3も)が誤読によるものではないと言うなら、「音楽事典の定義(として書かれていること)は、私が述べてきたことと矛盾しない」と「音楽辞典に定義が書かれている事実は、私が述べてきたことと矛盾しない」との違いが分からない──ことになる。質問の主語がすべて「音楽辞典の定義は」になっていますよ。Enharmonion 10:32 2004年6月1日 (UTC)

次の文章の中で、間違った部分があるのですから、その部分を指摘してください。
  1. 《「音楽辞典に上記のような定義が書いてある事実」と「私のこれまで述べてきた(すべての)意見」とが反しない」》とは、《「私のこれまで述べてきた(すべての)意見」において、「音楽辞典に上記のような定義が書いてある事実」がないとは言っていない》、という意味ですね?(論理学的に正しいですね?)確かにそうです。だって、Enharmonionさんは、音楽事典に実際にどのような定義がなされているかということについて、一言もこれまで触れられていませんから。
  2. それで、それを主張されるということは、音楽事典の定義(の内容)と、Enharmonionさんの意見との接点は、その部分しかない(つまり、実質的には何も接点がない)、ということを強調されたいのだと受け取りましたがいかがですか?
  3. だから、「音楽事典の定義はEnharmonionさんの主張、意見と関係がないのだから、矛盾するもしないもない。」と読めると思いました。
いかがですか?compUT/OSer 14:10 2004年6月1日 (UTC)

いきなり最初から論理的な間違い(全称命題を特称命題へすり替え)をしてます。これは「論理学的に正しいですね?」に反応して重箱の隅をつついているのではありませんよ。A(全称命題)とはB(特称命題)という意味ですね?──とありますけれども、BがAに含まれてはいますが同じ意味ではありません。含まれているならBと言ってるのと同じだと反論すると思うので、先に言っておきます。「1000円払った」は「500円は払った」ことを含みますが、それぞれ言いたいことが違います。むしろ重要なのは、表現が違っていることです。表現が違えば、言いたいことも伝わることも違ってきます。それはニュアンスの違いとして現れる場合もありますが、今回の件はニュアンスどころではありませんから念のため。これは即席で考えた例ですから、反論するところを間違えないでください。要するに、全称命題を全称命題として理解しないところから歪みが生じていると考えます。Enharmonion 15:59 2004年6月1日 (UTC)

つぎの話題です。上の議論が済んでから取り組みたいと思います。目的は

(CompUTOSer)システムではない「音名様のもの」は、音名として定義されたことがありますよね??

から、

(Enharmonion)要するに「音楽辞典にそのような定義が書かれている(のを私が認識している:引用時に補足)こと」を確認したかっただけのことなんですね。

の間の本線とは無関係なやり取りを削除することです。


確認だったということでよろしいですか? そうであれば、私が「はい」と答えられるように質問を書き換えて頂ければ事が済みます。話を不用意に広げないでくださいね。Enharmonion 04:12 2004年6月1日 (UTC)

「音楽事典などで、」を追加しました。compUT/OSer 08:48 2004年6月1日 (UTC)
勇み足で申し訳ありませんでしたが、それでよければそのように削除してください。compUT/OSer 09:24 2004年6月1日 (UTC)

この件はあとで対処します。


もうひとつ確認です。「中国や日本のものは完全にシステムではない」理由は、おっしゃるように12の音にバラバラに名前が付いているためですよね。だとすれば、イタリアやフランスの音名は、たしかに派生音についてはシステムだけれども、幹音についてはシステムではない、ということになるんでしょうか? 同様にドイツ音名のHは、システムから外れる? 逆に、ドイツ音名のB BB Es As Eses Asasらも、派生音でありながらシステムから外れる? となると、イタリア音名やフランス音名はまだしも、ドイツ音名はシステムとは呼べなくなってしまうんでしょうか?compUT/OSer 00:57 2004年5月25日 (UTC)

理解が容易なドイツの音名から。H/B関係は歴史的経緯が絡んだ明らかな例外。Es/As関係は発音および綴り字の影響による明らかな例外。例外がひとつでもあったらシステムと看做すことが無意味になるわけではないのですから、愚問です。
つぎイタリア・フランスについて。1/2/3ならシステムで、C/D/Eもシステムだが、Do/Re/Miには疑問の余地があると言いたいんですよね。第一に、C/D/Eだってアルファベットの辞書的順序という約束事を共通認識としなければ恣意的な記号に過ぎず、Do/Re/Miと変わりがありません。同じ論理を押し進めれば1/2/3も恣意的な記号です。ですからC/D/EとDo/Re/Miと黄鐘・・の恣意的度合いは連続的なもので、その意味では指摘は正しいと思います。しかしDo/Re/Miと黄鐘・・との間隙は、他の部分の間隙より遥かに大きいと思います。第二に、「C#4」を音名と定義する立場なら、まだ他にふたつシステム的要素があるわけですから、指摘をかわすことは容易です。Enharmonion 16:55 2004年5月25日 (UTC)

わかりました。とすると、イタリア音名がオクターブ名を含んでいないときには、音名と呼べるかどうか、だいぶ怪しいということですね?compUT/OSer 13:14 2004年5月26日 (UTC)

いいえ。記述に注意を要する程度のことと思いますが。Enharmonion 15:16 2004年5月26日 (UTC)

わかりました。compUT/OSer 13:24 2004年5月27日 (UTC)


音名がシステム化されたのはグィド・ダレッツォが6音組織を定義してからでしょう。 日本の三味線音楽だと、勘所というのがあって、体の動作感覚でツボを突くのに似ていて、決まった音名には結実しないというのがあります。
C#と呼んでしまったらオクターブ関係がわからない。--Noda,Kentaro 16:45 2004年5月20日 (UTC)

オクターブについてですが、実際にはオクターブを省略することの方が圧倒的に多いですよね。そもそも、オクターブのいい表し方が幾通りかあって、統一されていません。中央CをC3、C4、c1、c'.... 他にもあると思います。また、オクターブに関わらない、言い換えるとどのオクターブでもいい、またはどのオクターブか明示しないことに意味がある、という場合というのも多くて、コードネームのルートの場合など、その典型です。(コードネームに限って言えばそれは音名ではない、という言い方もできるかもしれませんが)
純邦楽についてですが、「決まった音名には結実しない」というのが、わかるようで今ひとつよくわかりません。勘所が音名ではないのは確かですが....compUT/OSer 01:07 2004年5月21日 (UTC)


普通、ピッチが外れたら「あ、外れた!」と認識なさるのが普通でしょう。(よっぽどの微分音ならそうはならないかもしれませんが、、)それが勘所と呼ばれる場合はそうはならないようなのです。勘所だけではなく、江戸時代にも覚書程度の記譜法は僅かに存在しましたが、「え」や「て」に相当する音名は半音ずれた違う音名にもおなじ文字が使われていたりします。

西洋音楽でも、音名唱法、階名唱法と呼ばれるようなものでは、日常的にありますよ。シャープやフラットを全部省略しますからね。トニックソルファのような特殊なものを除けば。compUT/OSer 16:32 2004年5月22日 (UTC)

大変面白いのは普通音楽文化というのは、人から貰ったら複雑化するのが筋なんですね。ところが日本は逆にいらないものを捨てて退化させている。生命力を消耗するような「速い動き」がほとんどでてこない。--Noda,Kentaro 22:06 2004年5月21日 (UTC)

私は必ずしも退化とは思わないですね。日本化を退化と表現したら、江戸時代までの輸入文化はすべからく退化になってしまうのではないでしょうか?compUT/OSer 16:32 2004年5月22日 (UTC)