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東京都立大学 (1949-2011)

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東京都立大学の一番古い母体は7年制の旧制東京府立高校である。7年制高校とは、 4年間の尋常科と3年間の高等科を置いたイギリスのイートンハーレーを見習った 全寮制の高校である。このシステムには、中学の時点で既に帝大への進学が確証され るという利点があった。戦前は、府立第一中学→官立第一高校→東京帝国大学とすす む道が、エリートコースとされいたが、一高と一中の管轄が違うために、一中が独自 に上に接続する高校を作ろうとした。 しかし周りの中学が反対したためにできたのが、この旧制府立高校である。 そのため麹町区永田町の東京府立第一中学校内で1929年に東京府立高等學校として開 校した。初代府立高校校長の川田氏も府立一中との兼任であった。1932年には、現在 の東京都目黒区八雲1-1-1に移転し、一高と双璧をなす旧制府立高校として有名になっ た。戦前、都内には官公立の7年制高校は東京高校と府立高校しかなかったため人気 が過剰に出たのである。

1943年に東京都制が始まるに伴い都立高等学校と改名し、1949年の学制改革を迎える。 この改革で、旧制都立高校の尋常科は東京都立大学附属高校に改組して、高等科は東 京都立大学教養部と諸学部に改組した。もう一方の東京高校は高等科が新制東京大学に 、尋常科が東京大学教育学部附属高校に改組された。また都立大学の設立に当たっては 他の5専門学校も都立大学に組み入れられた。 都立工業専門学校、都立理工専門学校、都立機械工業専門学校、都立化学工業専門学校 、都立女子専門学校である。これらのうち、理系4専門学校は都立大学の理学部、工学 部に引き継がれている。

こうして都立大学は、昼夜開講制度を取る総合大学として、人文学部、理学部、工学部 の3学部体制で発足した。同窓会の名称は、旧制府立高校の伝統を引き継ぎ、地名の八 雲1-1-1からとった八雲会である。 1957年に、A類とB類の二部制度となり、人文学部から法経学部が独立し4学部体制となる。 1966年に、法経学部が法学部と経済学部に分かれ5学部体制となり、牧野富太郎標本記 念館、小笠原研究委員会が設立された。更に、1977年には都市研究センターが設立される。 だがこのように組織を拡充するにつれ、新たな問題が浮上する。八雲キャンパスが手狭に なったのである。このために、1991年東京都目黒区八雲1-1-1から東京都八王子市南大沢 1-1-1に附属高校は残したまま、移転し、施設を大幅に拡充し、国際交流センター、情報処 理施設、R I 研究施設、環境保全施設などを新たに設置した。

しかし今度は、新たな問題が東京都から投げかけられる。都が戦後設置した、都立の2大学 と1短期大学と統合し、2005年に新大学を設立するという問題である。 そのうちの都立科学技術大学は、都立工業短大(1954年開学)と都立航空工業短大(1960年 開学)を前身とする都立工科短大(1972年開学)が、1986年に4年制大学に移行して日野キャ ンパスを母体として成立した大学で、 もう一方の都立保健科学大学は、都立医療技術短期大学(1986年開学)を前身として 1998年に、荒川キャンパスを母体として成立した大学である。 また都立短期大学は、立川と晴海のキャンパスを母体として成立した。

これらの3大学との統合による新大学設立という課題を投げかけられた都立大学は、その 準備段階として、2002年に、新大学移転に伴う処置で二部制度を廃止して昼間のA類のみと なる。 こうして2000年から2003年にかけて東京都の協議の中でまとまった新大学案は下記のとおり である。

学部構成、 人文学部・法学部・経済学部・理学部・工学部・保健科学部の6学部体制。 大学院構成、 人文科学研究科・法学政治学研究科・経済学研究科・理学研究科・工学研究科・先端科学研究科 ・保健科学研究科の7研究科体制で、 ロースクール・ビジネススクール・エンジニアリングスクールを個々の大学院内に併置。

しかし2003年8/1に、突如として大学改革を推し進める東京都大学管理本部からこれまでの 構想とは全く異なる新大学構想が発表され、既存の大学側は一斉に反発する。改革の再構築、 再議論を求めるという都立大学総長声明が出され、2003年12月に入ると都立大学理学部及び 工学部、都立科技大の教員110名による、総長声明を支持するという内容の新声明が出される。 この新大学構想は以下のとおりである。

学部構成、 都市教養学部(人文社会系・法律系・経済系・理工系)・都市環境学部・システムデザイン学部 ・保健福祉学部 大学院構成、 未定で、2006年から新大学の大学院を設置する。 その他新大学の組織体制 理事長を設置して、経営合理化を進める。 経営合理化のために、現存の大学の教員定数を削減する。特に人文学部は130名から64名にする。 また入学定員を増やす。 教員に任期制かつ年俸制を導入する。 新大学への推薦を行い有望な人材を育成する高3生向けの東京塾を設立する。

上記の案は、これまでにない大学を作るという石原慎太郎都知事のもとで作られた案で、 人文学部の仏文、独文、国文、英文、中文、文学五専攻は人文社会系国際文化コースに 統合されるため、人文学部の反発が特に強いものとなっている。 また学部名称も、学問的な位置づけがあいまいとして多くの人から、反発が出ている。