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渡辺 義政(わたなべ よしまさ、生年不詳 - 建保5年9月5日(1217年10月6日))は、源義経の家臣。通称は内膳守、内膳。
文治5年(1189年)、源義経が兄・源頼朝に追われ、京から陸奥国平泉に下向する道中、糸沢宿付近に泊まった際に、義政は同地に留まった[1]。
義経の戦死後、建暦2年(1212年)に龍福寺[2]を開山する。
建保5年(1217年)、82歳で没した。
- ^ 「源義経一行逃避之地」石碑文に「文治五己酉天九月源義経ト共ニ當地ニ落建暦壬申天龍福寺開山ス建保五丁丑天九月初五日八十二戈ニテ死ス渡邉内膳守義政」とある。
- ^ 福島県南会津町。