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工藤政志

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工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は秋田県南秋田郡五城目町出身の元プロボクサー。WBA世界ジュニア・ミドル級、日本ミドル級王者。右ボクサータイプ。アマチュアレスリング出身でインターハイ3位という成績を持ち、ミュンヘンオリンピック1972年)の代表から外れたためにプロボクシングに転向したという、異色の経歴を持つ。

  • 1974年 日本ミドル級王者(8度防衛)
  • 1978年 WBA世界ジュニアミドル級王者(3度防衛)

戦績

  • 1973年5月 - プロデビュー。
  • 1974年7月 - ノンタイトル10回戦でカシアス内藤に判定勝ち。
  • 1974年7月18日 - 日本ミドル級王座獲得。以後8度防衛。
  • 1978年8月9日 - WBA世界ジュニアミドル級王座に挑戦。王者、エディ・ガソニカラグア)を15回判定で降し王座獲得。以後3度防衛。
  • 1979年6月20日 - 世界王座3度目の防衛戦。マヌエル・ゴンザレスを12回KOで降しデビュー以来23連勝を達成。
  • 1979年10月24日 - 世界王座4度目の防衛戦。アユブ・カルレ(ウガンダ)に15回判定で敗れ王座陥落。現役引退。

最終戦績23勝(12KO)1敗。

ジャブとストレートのみのボクシングで世界チャンピオンになった。 フックとアッパーはとうとう最後まで打たなかった(そのためか、世界戦での3度の判定勝利はいずれも、2-1に分かれる、スプリット・デシジョンであった)。 上記のように、世界チャンピオンとしてのボクシング技術は高いとはいえなかったが、無類のスタミナとタフネスを誇り、重量級の世界チャンピオンにも関わらず、ダウンを経験しないまま現役を終えた。

関連項目