原光保

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原 光保(はら みつやす 1795年(寛政7年)2月 - 1868年(慶応4年5月25日))は江戸期の名主・開拓者。通称は清兵衛(せいべえ)で出生地の相模原市では「原清兵衛(はら せいべえ)」として知られる。

略歴[編集]

  • 1795年(寛政7年)2月 - 相模国高座郡小山村(現・相模原市中央区小山付近)の豪農・原家に生まれる。原家は農業の他醸造業も営んでいた。
  • 1843年(天保14年) - 韮山代官の江川英龍(太郎左衛門)から勧奨を受け、当時「相模野」や「相模原」と呼ばれていた入会地を開墾。
  • 1856年(安政3年) - 開墾した新田集落が幕府による検地を受け、原の名から「清兵衛新田」と名付けられ幕府直轄領となる。
  • 1868年(慶応4年) - 死去。享年74。

出典[編集]

  • 相模原市史

関連項目[編集]