ファイル:David Douglas Duncan,1950 ,Tokyo Photograph taken by Jun Miki.jpg

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

元のファイル(1,201 × 800 ピクセル、ファイルサイズ: 707キロバイト、MIME タイプ: image/jpeg)

概要

解説
日本語: 1950年(昭和25年)5月、日本文化の伝統美をテーマに撮影するため、ライフの写真家デビッド・ダグラス・ダンカンが初来日した。6月の夕方、三木はタイム・ライフ東京支局でダンカンの写真を、ライカのボディーに日本光学製のレンズ、ニッコール8.5cmF2を付けて撮影した。「日本製のゾナーだよ」とダンカンに言うと、彼は「ほほう、日本製のキャデラックなど、どこにある?」と敗戦国製のレンズなど気にも留めなかった。しかし、翌日8×10サイズにプリントした写真をダンカンに見せると彼は驚愕した。「こんなシャープなレンズは初めてだ。この会社をみてみたい。すぐに電話をかけてくれ」と興奮気味に言われ、日本光学に電話を入れた。直接電話に出た長岡正男社長に、用件を伝えると快諾してくれた。二人は日本光学大井工場に出向き、ニッコールレンズを次々にテストした。「ワンダフル、ジャパニーズレンズ」とダンカンはつぶやいた。ニッコールレンズは当時最高レベルのドイツ製レンズに勝る高性能であった。ダンカンは朝鮮戦争をニコン製品を使って撮影し、ニコンが世界に広まる契機となった。この時、三木がニッコール8.5cmF2を使ってダンカンを撮影した写真である。
English: In May 1950, Life photographer David Douglas Duncan first came to Japan to shoot on the theme of traditional beauty of Japanese culture. In the evening of June, Miki took a picture of Duncan at the Time Life Tokyo bureau with a Leica body and a Nikkor 8.5cm F2 lens. "It's a Japanese-made Zoner," he said to Duncan, and he didn't even notice the defeated country-made lenses, "Where are the Japanese-made Cadillacs?" However, he was astonished when he showed Duncan a photo printed in 8x10 size the next day. "I've never seen such a sharp lens. I want to see this company. Call me right away," he said with excitement. Miki called Nikon. He kindly agreed to tell the matter to President Masao Nagaoka who answered the phone directly. The two went to a Nikon factory to test Nikkor lenses one after another. "Wonderful, Japanese lens," Duncan muttered. The Nikkor lens had higher performance than the highest level German lenses at that time. Duncan filmed the Korean War with Nikon products, which triggered the spread of Nikon around the world. At this time, Miki took a picture of Duncan using a Nikkor 8.5cm F2.
日付
原典 三木淳 『三木淳写真集 LIFEのカメラ・アイ』 小学館、1989年。ISBN 4096804711
作者 三木淳

ライセンス

Public domain
日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定に基づき、著作権の保護期間が満了しており、日本においてパブリックドメインの状態にあります。
  1. 1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。
  2. 1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。
また、日本における著作権の保護期間が1970年までに満了しており、ウルグアイ・ラウンド協定法によっても著作権の回復がされなかったため、アメリカ合衆国においてもパブリックドメインの状態にあります。
Notes
Notes
アップロードする方へ:画像の出典と公表日の明記をお願いします
  • 日本における公表(発行)後30日以内にアメリカ合衆国において公表(出版)された写真である場合は、著作権で保護されている可能性があります。アメリカ合衆国における著作権の保護期間が満了していない場合は、このファイルは削除されます。
  • このテンプレートは、美術上の著作物の忠実な複製写真には使用しないでください。写真が美術上の著作物の複製物である場合は、旧著作権法第23条に基づき、原著作物と同一期間保護されます。Commons:PD-Art タグを適用する場合も参照してください。

العربية  čeština  Deutsch  English  español  français  italiano  日本語  한국어  македонски  Bahasa Melayu  português  русский  sicilianu  Tiếng Việt  中文  中文(简体)  中文(繁體)  +/−

キャプション

1950年6月、三木淳がD.D.ダンカンをニッコール8.5cmF2を使用して撮影

このファイルに描写されている項目

題材

1 6 1950

ファイルの履歴

過去の版のファイルを表示するには、その版の日時をクリックしてください。

日付と時刻サムネイル寸法利用者コメント
現在の版2020年9月29日 (火) 16:392020年9月29日 (火) 16:39時点における版のサムネイル1,201 × 800 (707キロバイト)Wpb222明るさ再調整
2020年9月29日 (火) 16:322020年9月29日 (火) 16:32時点における版のサムネイル333 × 222 (65キロバイト)Wpb222明るさ調整
2020年9月27日 (日) 18:172020年9月27日 (日) 18:17時点における版のサムネイル1,201 × 800 (703キロバイト)Wpb222800x1200px
2020年9月25日 (金) 10:052020年9月25日 (金) 10:05時点における版のサムネイル333 × 222 (65キロバイト)Wpb222Uploaded a work by 三木淳 from 三木淳 『三木淳写真集 LIFEのカメラ・アイ』 小学館、1989年。ISBN 4096804711。 with UploadWizard

以下の​ 2 ページがこのファイルを使用しています:

メタデータ