ファイル:Cathedral of Christ the Saviour (destruction, 1931).jpg

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元のファイル(800 × 905 ピクセル、ファイルサイズ: 177キロバイト、MIME タイプ: image/jpeg)

解説
Русский: Взрыв храма христа спасителя
Deutsch: Die Sprengung der Kathedrale von Christus dem Erlöser >
日付
原典 [1]
作者 不明Unknown author
Public domain
この著作物は、2006年12月18日ロシア連邦民法第1281条、2006年12月18日ロシア連邦法(ロシア連邦民法典第4巻施行法)第231-FZ号第5条及び第6条の定めるところにより、ロシアにおいてパブリックドメインの状態にあります詳細)。

通常、以下のいずれかの場合に使用されます[1]

  1. この著作物の著作者が、1942年1月1日以前に亡くなっていること。
  2. この著作物の著作者が、1942年1月1日から1946年1月1日の間に亡くなり、大祖国戦争中には働いておらず、戦争にも参加していないこと。
  3. この著作物が、1943年1月1日以前に匿名又はペンネームで公表(発行)されたもので、以後50年間は著作者の名前が知られなかったこと。
  4. この著作物が、1943年1月1日から1946年1月1日の間に匿名又はペンネームで公表(発行)されたもので、以後70年間は著作者の名前が知られなかったこと。
  5. この著作物が、1929年1月1日[2]から1946年1月1日の間に制作され、且つ、当該期間に初公開された、又は1993年8月3日まで公開されなかった非アマチュア映画若しくはテレビ映画(或いはその内の一連の画像、一部)であること。
  6. この著作物が、1925年7月10日[3]から1946年1月1日の間に、イタルタス通信ロシア電報社、又はKarelfinTAGの職員が公務として制作し、且つ、当該期間に初公開された、又は1993年8月3日まで公開されなかった(写真の報告を含む)情報報告書であること。

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法効力発生日(1996年1月1日)に本国(ロシア)においてパブリックドメインの状態にあり、アメリカ合衆国における最初の公表(発行)から30日間再公表されなかったため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。


[1] この著作物の著作者が迫害を受け、死後に名誉回復がされた場合、著作権の保護期間のカウントダウンは、死亡日ではなく、名誉回復日から開始されます。著作物が死後に最初に公表(発行)された場合、著作権の保護期間は、その最初の公表日からカウントされます。但し、著作者が後に名誉回復された場合は、その後の名誉回復日から再びカウントされます。
[2] 1929年1月1日以前に製作された映画フィルムは、このテンプレートの1 - 2項の対象です。

[3] 1925年7月10日以前に作成されたロシア電報社の報告書は、このテンプレートの1 - 4項の対象です。

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題材

5 12 1931

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現在の版2010年5月16日 (日) 11:122010年5月16日 (日) 11:12時点における版のサムネイル800 × 905 (177キロバイト)Shakko{{Information |Description=Взрыв храма христа спасителя |Source=http://oldmos.ru/upload/photos/4/1/1/3477_411240242c92347213c3535682134d94.jpg |Date=5 december 1931 |Author={{anonymous}} |Permission= |other_versions= }}{{PD-Russia

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