ファイル:新石垣空港 移転案.png

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概要

解説
日本語: 新石垣空港 移転案

1979年、西銘順治県知事 (自民党推薦) 時代、旧海軍石垣南飛行場の跡地を利用した旧石垣空港を移転するため、旧陸軍白保飛行場のさらに北側の白保海岸を埋め立て、2,500m の滑走路を持つ新空港計画 (白保海上案)を発表した。しかし白保海岸は北半球で最大級のアオサンゴ群生海域 (白保サンゴ礁)であることが注目され、国内外の強い批判をあびた。1982年3月、国からの設置許可をえて埋立建設に着手するも[16]、1988年、国際自然保護連合 IUCN がコスタリカでの第17第総会で反対決議を採択し、国と県に対して計画の見直しを求めた。翌年1989年、県は白保海上案を撤回し、建設予定地をさらに北に設定したカラ岳への移転を発表した(カラ岳東案)。しかしこの変更案も赤土流失とサンゴ礁生態系の破壊を招くものであり、1990年12月、再び IUCN が見直しを求める決議を採択した。

1990年に就任した大田昌秀知事は、1992年11月、新石垣空港建設案を海岸から内陸の宮良川上流にシフトした(宮良案)。13年の長きに及ぶ新飛行場の白保海岸への建設反対運動はこれでいったん終息するが、しかし宮良地区でも地元農民の強い反対が起こり、計画は停滞する。

1999年、稲嶺惠一知事はカラ岳東、カラ岳陸上、宮良、そして冨崎野の4案の比較検討を諮問し、埋立なしのカラ岳への再移転(カラ岳陸上案)を選択。2006年から建設が始まり、2013年には新石垣空港が完成した。旧陸軍の白保飛行場の位置からはマングローブの茂る轟川をへて北側に位置する。
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原典 投稿者自身による著作物
作者 Alain Parks

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新石垣空港 移転案

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9 3 2024

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現在の版2024年3月9日 (土) 23:212024年3月9日 (土) 23:21時点における版のサムネイル624 × 685 (537キロバイト)Alain ParksUploaded own work with UploadWizard

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