ノート:鳳暦 (五代後梁)

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曖昧さ回避の仕方について[編集]

「暦」と「歴」が簡体字では同じだからかもしれませんが、中国語版は、後梁の元号と後理(大理)の元号とで対等の曖昧さ回避をしています(zh:凤历)。日本語では、後梁の方は「鳳暦」、後理の方は「鳳歴」と書かれることが多いみたいで、日本語版でも現状でそのように書きわけられています。この2つの記事名について、次の2つの方法を考えたのですが、どちらが良いと思いますか?

  1. 後梁を「鳳暦」、後理を「鳳歴」として、曖昧さ回避のためのページを作らず、相互に冒頭部で誘導を入れる。
  2. 「鳳暦」を曖昧さ回避のためのページ、「鳳歴」をそこへのリダイレクト、後梁を「鳳暦 (後梁)」、後理を「鳳歴 (大理)」とする。

ご意見をお聞かせ下さい。--oxhop 2007年4月19日 (木) 16:22 (UTC)[返信]

中文版の繁体字を確認するとどちらも「歴」なのですね。日本語版ですでに暦/歴が書き分けられていることと、書籍での扱いが書き分けられているとのことであれば、前者の対応(後梁を「鳳暦」、後理を「鳳歴」、相互に誘導でいいのではないでしょうか)--田英 2007年4月20日 (金) 12:30 (UTC)[返信]
ありがとうございます。中文版の繁体字はそうですね(理由はわかりませんが)。では、1の方法でやってみます。--oxhop 2007年4月20日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
項目立てを行ったyonoemonですが、本来意図した項目はでしたのでと修正しました。現実が両者の漢字はお互いに通じることもあるようですが、『新五大史』巻十三 梁家人伝第一 太祖子博王友文に「改元曰鳳歴」という記述があるので、それに従い本来意図した漢字へ変更しました。--Yonoemon 2007年4月22日 (日) 10:02 (UTC)[返信]

新五代史の該当個所については、「鳳歴」としているもの[1]と「鳳暦」としているもの[2]の両方があります。他の「歴」あるいは「暦」を含む元号についても、前者は「歴」で、後者は「暦」で揃えてあるようです。他の中国年号の記事名が、「暦」になっていることを考えても、「鳳暦」の方が良いと思いますが、どうでしょうか。--oxhop 2007年4月22日 (日) 12:30 (UTC)[返信]

典拠となるWebですが、この2点を比較する限り、[新亜研究所 http://www.hkedcity.net/]の方が誤字脱字が少ないですね。また台湾政府機関である[中央研究院 http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/]でもを採用していますし、中華書局本でもであることから、史料優先の観点からのほうが適当でしょう。もしの誤字という学術論文があればそれは掲載する価値があると思うのですが、寡聞ながらその論文は確認できていません。
他の元号でを使用しようともそれはそれで別の話です。--Yonoemon 2007年4月22日 (日) 12:57 (UTC)[返信]
前段では「暦」でよいと発言していましたが、PJ典拠としている中華書局本に拠って、記事名を「歴」とすることに反対はしません(先に同本の記述を確認しておけばよかったですね)。ただ、「暦」表記もあることは掲載しておく方がいいと思います。冒頭でoxhopさんは日本語では後梁の方は「鳳暦」と書かれることが多いと仰ってましたので、なにか書籍があれば、それを挙げていただければ助かります。あと、中華書局本にはその箇所に註はないですよね?(百トツ本がどうなっているかを確認できればいいのですが、自分では見ることができなくて今のところは無効発言で申し訳ないです。)--田英 2007年4月22日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
なるほど、誤字ですか。中央研究院、中華書局本がそうなっているのであれば納得です。ありがとうございました。
「鳳暦」としているものは、松橋達良『元号はやわかり 東亜歴代建元考』(砂書房)p162、『世界史小辞典』(山川出版社)付録p98、鄧洪波『東亞歴史年表』(國立臺灣大學東亞經典與文化研究計劃)p168(台湾大学のサイト[3]でダウンロードできます)があります。--oxhop 2007年4月22日 (日) 14:16 (UTC)[返信]

oxhopさん、書籍例提示ありがとうございます。Yonoemonさん、(拘りすぎるかもしれませんが)中央研究院サイトで「鳳曆」を検索してみたところ、『舊五代史』卷十二・梁書十二・宗室 列傳第二・友珪条の註に、『五代会要』を引いて「至乾化二年六月三日篡位,偽改鳳曆元年」としている例がありました(→[4])。出版されている『五代会要』までは手が回りませんが、「暦」とする例として本文に書き足してもいいでしょうか? oxhopさんに教えていただいた和書、鄧洪波『東亞歴史年表』とともに異表記分としての加筆を検討します。--田英 2007年4月22日 (日) 15:59 (UTC)[返信]

中華書局本は確認していませんが、田英さんが引いた『旧五代史』1例のほかに、『新五代史』にも、本紀卷三・梁本紀第三・末帝友貞・乾化二、三年条「明年,友珪改元曰鳳曆.」及び本紀卷十・漢本紀第十「梁太祖以乾化二年遇弒,明年,末帝已誅友珪,黜其鳳曆之號,復稱乾化三年,尚為有說.」に「鳳暦」としている例がある(中央研究院サイトで確認)のでご確認いただけないでしょうか。また二次資料でも李崇智の本、及び萬國鼎編、萬斯年・陳夢家補訂『中國歴史紀年表』(北京:中華書局、1978年、2006年再版)はいずれも「暦」をとっています。「歴」をとった二次資料も、また特にこの元号に限った考証も、今のところ発見できていません。とりあえずご報告します。--Novo 2007年4月22日 (日) 19:29 (UTC)[返信]
李崇智『中國歴代年號考』(北京:中華書局、2001年修訂本)は、異説があるものにはその字を付記し、「按」として考証を付していますが、「鳳暦」には何も書いてありません。あわせてご報告します。--Novo 2007年4月22日 (日) 20:19 (UTC)[返信]
oxhopさんの引いたサイトのうち、呼嚕嚕サイトでは全部「鳳暦」になっていますが、新亜研究所サイトでは、田英さんの引いた『旧五代史』の例と、私の引いた『新五代史』漢本紀の例は「鳳歴」になっており、また『新五代史』梁本紀第三の文は、その直前で切れていて載っていません。もともと両者は通字で、簡体字では字体も統合してしまいましたし、中国の文言史料集ではあまりうるさく校勘しないのでしょう。私個人は通説から離れないほうがいいと思っていますが、項目名は中華書局本によることにして、片方はリダイレクトか誘導にし、本文に個別資料ごとの用例を書き加えましょう。中華書局本の表記が割れていたら、そのときはまた考えましょう。--Novo 2007年4月22日 (日) 22:43 (UTC)[返信]
註記でとなっているのは確認済みです。『五代会要』に関してはGW中に手元の中華書局本で確認してみます。おそらくを主項目名とし、を副次的なものになるとは思いますが、その辺の史料を網羅した上での記載を追加しますので、調査終了までもうしばらくお待ちください。--Yonoemon 2007年4月22日 (日) 23:36 (UTC)[返信]

今更ながらなのですが、乾隆帝の諱(弘暦)を避諱して暦が歴にされて定着したのでしょうか。明代までの刊本またはそれを底本として校勘した資料で確認できると良いのですが、手に負えないですね。--田英 2007年6月27日 (水) 05:14 (UTC)[返信]

うっかりしていましたがその通りですね。私も少し調べたのですが、そこまで意識していませんでした。中華書局本はたぶんそれも知った上で校勘していると思いますけれども。--Novo 2007年6月27日 (水) 09:48 (UTC)[返信]