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ノート:ミストラス

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ノート:ミストラから転送)

ページ名変更のお願い

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「ミストラ」は中世西欧人の聞き違いに基づく名称であり、中世の東ローマ帝国、現在の所属国であるギリシアの正式名称ではありません。ギリシアでの正式名称は「ミストラス」であり、例えば英語のページでもMystrasになっております。残念ながら日本語で出ている文献の大半が未だに「ミストラ」の名称を使用しているのも現状ですが、新しく作られるウィキペディアが同じ誤りを踏襲すべき理由はないように思われます。以上がページ名変更申請の理由です。ご検討のほどよろしくお願い致します。--61.23.77.219

外国の地名・人名は、現地でどのように呼ばれているかも重要ですが、日本語でどのように呼ばれているかが優先されるべきと考えられます。ですから、日本語文献で「ミストラス」としているものを提示することで、皆さんの同意を得られやすくなると思います。
原則として、世界遺産は、日本ユネスコの採用している表記(これが多くの書籍等でも採用されている)でページ名が立てられており、本件も現状では原則通りとなっています。しかし、正当な理由があれば適宜修正もされているようです(Wikipedia:ウィキプロジェクト 世界遺産/より正確な記事名参照)。本件の場合も、ギリシア語の発音的にも、登録英語名称(Mystras) からも「ミストラス」の方が近いのですから、あとは、日本語としても奇異でないことが確かめられれば、変更についての支持を得られると思います。--oxhop 2006年3月6日 (月) 15:31 (UTC)[返信]


日本語で「ミストラス」を採用している文献としては今のところ、

  • 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会1998年
  • 柴宜弘編『バルカン史』山川出版社1998年(世界各国史18)97ページの地図内

の二件ですね。ちなみにバルカン史の初版はミスプリントで「シストラス」となってしまってます。新たな表記名に切り替える際に肝心の文字列を誤植されると結局見捨てられる運命にあるみたいですね。そういえば、教科書でも一時期「現地名表記優先」(例えばフェルディナンド・マゼラン→フェルナン・デ・マガリャンイス)という事になったはずなのに、結局は元に戻る傾向があるようです。ここウィキペディアも同じ運命を辿らない事を期待しますが。--61.23.77.219

私も探してみました。
  • C.M. ウッドハウス著、 西村六郎 訳『近代ギリシァ史』みすず書房、1997年
が、「ミストラス」となっていました。ちなみに、山川の新版世界各国史シリーズの『ギリシア史』(2005年)は「ミストラ」なんですね。シリーズ間での調整をしてないのでちょっと意外でした。調べていて、あまりにも「ミストラ」が多いので、ふと思ったのですが、ここが都市だった当時には現代ギリシア語はなかったわけで、少なくとも西欧に残されている記録では、その時代の呼称はミストラ (Mystrá) だったわけですよね? モレアス専制公領、ビザンティン帝国、オスマン帝国では何と呼ばれていたのでしょう?
記事名の変更について、他の方のご意見もお聞かせ下さい。--oxhop 2006年3月15日 (水) 14:13 (UTC)[返信]

取り敢えず手持ちの本で調べてみましたが、ミストラスの創建について語る『モレアス年代記』(Chronikon tou Moreos)は中世フランス語・ギリシア語版が14世紀前半の成立、イタリア語とカタルーニャ語の版が同世紀後半の成立です。私はギリシア語版しか見た事がないのですが、そこでは「ミジスラス」(Μυζηθράς, スペル違いでΜιζηθράς, Μηζηθράς, Μισιθράςなど)となっています。以降、東ローマ帝国(モレアス専制公領も帝国の一部です)では「ミジスラス」が定型の表現です(もっとも、著名な歴史家は大半が古い「スパルタ」の表現を好みましたが)。東ローマ帝国の滅亡を記録した歴史家ゲオルギオス・スフランツィス(Γεώργιος Σφραντζής, 1401-1477頃)も「ミジスラス」を使用しています。西欧人の表現ですが、大抵は「ミジスラス」から転訛したと思われる「ミシストラ」(Misistra)で、スペル違いでMisistre, Misitre, Mysithra, Misthreなどの表現が中世ラテン-イタリア語の記録(14-15世紀のヴェネツィア共和国文書など)に出てきます。近代前期までの段階で「ミストラ」(Mistra)というそのものの表現に出会う事はないようです。オスマン時代、トルコ語の表現は「メジストレ」(Mezistre)でした。ギリシア語の「ミジスラス」が現在の「ミストラス」に転訛していくのはかなり後、恐らく17-18世紀以降の事と思われます。私が確認した西欧人による「ミストラ」の最初の使用は1688年のヴェネツィア-オスマン戦争の記録(イタリア語)でした。長文になってすみませんが取り敢えずはそういった状況です。--61.23.77.158

ありがとうございます。なるほど、勉強になりました。記事の方にも書いてあると役立つ情報ですね。
ミストラに関しては、学校の教科書等で馴染みがあると言うわけでもなく、ミストラスに変えたとしても読者を混乱させるとか、読みづらくさせるということもなさそうですし、また、実際に日本語文献に使用例もあることですから、あと1日ほど待って反対意見が出ないのであれば、移動をしたいと思います。--oxhop 2006年3月16日 (木) 13:21 (UTC)[返信]

こちらこそ。この問題が結果を見るまでは本文記事への書き込みを控える方針です。些細な問題にも思われますが、タイトルとその変更の問題も「編集方針」の一つと理解しますので、私の見解が容れられないのであれば「完全に同意」はやはり出来ないという事で。結果がもし変更に反対であれば、私もその決定は受け入れます。いずれにせよ、oxhopさんの対応に深く感謝します。--61.23.77.158

どういたしまして。先ほど、記事名の変更をしました。それに伴い簡単な修正もしましたが、あくまでも仮のものということで、あとはよろしくお願いします。また、Wikipedia:ウィキプロジェクト 世界遺産/より正確な記事名#修正を行った遺産登録名の方も報告しておきましたので、こちらも適切でない部分や不足してる部分があれば訂正をお願いします。--oxhop 2006年3月17日 (金) 14:45 (UTC)[返信]

記事名の変更を確認し、全体的な書き直しをしました。一応、歴史と建造物について必要な情報は盛り込んだつもりですが、何かご要望があればこのノートページにご一報下さい。重ねて、ご尽力に感謝申し上げます。--61.23.77.158