鳥居忠文
時代 | 江戸時代末期(幕末) - 大正時代 |
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生誕 | 弘化4年9月11日(1847年10月19日) |
死没 | 大正3年(1914年)10月31日 |
改名 | 久菊・右近・喬(幼名)、忠文 |
官位 | 従五位下 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国壬生藩主 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 父:鳥居忠挙、養父:鳥居忠宝 |
兄弟 | 忠粛、忠宝、忠文 |
妻 |
正室:松平康圭の娘・鈴子 継室:藪実方の次女・嶺子 |
子 |
忠一(長男)、三宅忠強(2男)、 住友忠輝(3男)、忠治(4男)、忠博(5男) |
鳥居 忠文(とりい ただぶみ)は、江戸時代の大名。下野壬生藩の第8代(最後)の藩主。壬生藩鳥居家12代。
弘化4年(1847年)9月11日、第6代藩主・鳥居忠挙の四男として生まれる。明治3年(1870年)9月25日、第7代藩主で兄の忠宝が病気により隠居したため、養子としてその跡を継いで藩主(知藩事)となった。明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で免官となり、その後は子爵、貴族院議員となった。大正3年(1914年)10月31日に死去。享年68。