高倉虎

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高倉 虎(たかくら とら、1862年(文久2年11月[1][2]) - 1924年(大正13年)1月27日[2][3][注釈 1])は、明治から大正時代の政治家貴族院多額納税者議員

経歴

常陸国(現茨城県)出身[2]。所得税調査委員などを歴任した[1][2]

1921年(大正10年)茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され同年8月30日に就任したが[2][4]、在任中に水戸市赤十字病院で胃癌のため死去した[3][5][6]

脚注

注釈

  1. ^ 「高倉虎次郎」『大正過去帳』295頁では1月28日午前五時没。

出典

  1. ^ a b 貴族院事務局 1921, 539頁.
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1960, 200頁.
  3. ^ a b 『官報』第3429号「帝国議会」大正13年1月31日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  6. ^ 「高倉虎次郎」『大正過去帳』295頁。

参考文献