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高倉 寿子(たかくら としこ、1840年(天保11年) - 1930年(昭和5年)1月27日)は、明治・大正期の典侍。
左大臣一条忠香に出仕[1]、1868年忠香の三女美子(のちの昭憲皇太后)が明治天皇の皇后として入内する際、輔導役として宮中に入り典侍となる。のち女官長となる。源氏名は新樹。皇太后の没後、1915年職を辞し京都に隠棲。1930年死去。享年91。