陳紀 (九江太守)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Miraburu (会話 | 投稿記録) による 2021年12月27日 (月) 13:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:三国志の登場人物を除去; Category:袁術軍の人物を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

陳 紀(ちん き、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。揚州丹陽郡の人。

正史の事跡

姓名 陳紀
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 揚州丹陽郡
職官 九江太守
爵位・号等 -
陣営・所属等 袁術
家族・一族 〔不詳〕

袁術配下。かつて袁術は孫策に対し、いずれ九江太守に任命するという約束をしていたが、約束を破って陳紀を九江太守に任命した。後日、袁術は孫策に対して「陳紀を九江太守に任命したのは『間違い』であった」と言い訳している。正史では、この記述以外に陳紀の名は見当たらない。

物語中の陳紀

小説『三国志演義』では、徐州呂布を討伐する際に袁術から第3軍上将に任命されたが、呂布軍の陳宮率いる軍に迎撃され敗れている。後、寿春曹操らの連合軍が攻め込んで来ると、淮水を渡って逃れようとする袁術の命により、陳紀は李豊梁剛楽就と共に寿春城を固守する。しかし曹操軍の猛攻の前に城は陥落し、陳紀らは城内の市場に引き出され、斬首されてしまう。

参考文献