陳嗣慶
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陳嗣慶(ちんしけい、?-1223年)は、ベトナム李朝末期の政治家・将軍。陳李の次男で陳承(太祖)の弟。陳朝の基礎を築いたが、王朝成立前に死去。陳朝において、建国大王[1]と追尊された。
経歴
1209年に陳朝が内乱によって混乱状態に陥ると、父とともに恵宗を擁立して自分の姉妹を妃(陳元妃、陳朝建国後は霊慈国母)に擁立した。1211年、正式に即位した恵宗は陳嗣慶[2]・馮佐周に命じて陳元妃を正式に迎え入れ、嗣慶を彰誠侯に封じる(『大越史記全書』建嘉元年2月条)。ところが、恵宗の母である譚太后は快く思わず、恵宗を巡って太后と陳嗣慶との間で対立を生じ、やがて恵宗を擁した太后によって追討令が出される。ところが、1216年に恵宗が妃とともに嗣慶の保護下に入ると、陳嗣慶は太尉(輔国太尉)に任ぜられて輔政の任を行うこととなり(『大越史記全書』建嘉6年12月条)、彼とその一族は各地の反陳氏勢力を打ち破り、外戚として実権を掌握した。
陳嗣慶は1223年に輔国太尉のまま没するが、一族の陳守度が簒奪計画を進め、2年後に陳朝が成立する。陳守度は陳嗣慶の実兄である陳承を太上皇に、その子太宗を皇帝に擁立した。
脚注
参考文献
- 桃木至朗『中世大越国家の成立と変容』(大阪大学出版会、2011年) ISBN 978-4-87259-381-5 P209-210・272・301-302