長野女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年1月5日 (水) 16:36; 126.3.61.16 (会話) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

長野女王(ながのじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の女官皇族。系譜・位階は不明。

内教坊女嬬として出仕していたが、同宿の同じく女嬬であった出雲家刀自女と謀り、にわかに寄宿した知人の船延福女を絞殺し、の皮を剥いで遺骸を宮の外に打ち捨てた。殺害動機は、船延福女の所有する僅かばかりの高級な衣服を見たことによる。この罪により、弘仁8年(817年)5月27日出雲家刀自女とともに伊豆国流罪となった[1]

脚注[編集]

  1. ^ 類聚国史』巻八十七「刑法部」一「配流」(『日本後紀』巻第二十六 嵯峨天皇 弘仁8年5月27日条)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

  • 葦原王 - 同じく、殺人の罪で配流された皇族。