鍋島直恒
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄14年12月5日(1702年1月2日) |
死没 | 寛延2年10月16日(1749年11月25日) |
改名 | 弁五郎(幼名)、直恒、称就(法号) |
戒名 | 竜華院殿実巌玄成大居士 |
墓所 | 佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺 |
官位 | 従五位下、朝散大夫、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前蓮池藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直称、母:小花和成之の娘・興祥院 |
兄弟 |
姉(鍋島直堅室)、鈴木之基、直恒、 妹(諫早茂候室)、中野好古、鍋島称起、 峯豊方、成富盛隆、妹(中沢政員室)、 牟田玄義、姉妹(日野資時室)、 姉妹(松枝貞昌室) |
妻 |
正室:鍋島光茂の娘 側室:犬塚常章の娘・無価院 側室:大隈良雄の娘 |
子 |
直興、喬良(次男)、娘(鍋島中務室)、 牟田守尋(3男)、娘(諫早石見室)、 娘(堀河康実室)、 娘(犬塚常芳養女、犬塚某室)、 娘(諫早石見養女)、直寛、娘(鍋島主馬室) |
鍋島 直恒(なべしま なおつね)は、肥前蓮池藩の第4代藩主。
生涯
元禄14年(1701年)12月5日、第3代藩主・鍋島直称の次男として江戸麻布藩邸で生まれる。正徳5年(1715年)に従五位下・朝散大夫・摂津守に叙任される。享保2年(1717年)4月9日、父の隠居により家督を継いで第4代藩主となる。
享保3年(1718年)に幕命により接待役を任じられると、財政難のために臨時税を課し、さらに上米や長崎商人からの借金などを行なっている。その後も財政難が続いて参勤費用にも事欠く有様であり、山林売却や参勤免除を幕府に願い出るよう本家の佐賀藩に申し出たが、却下されている。享保17年(1732年)には旱魃・虫害などで6400石の減収となり、天災も相次いだ。このため財政整理を行ない、延享2年(1745年)には遂に徳恩寺に神頼みするほどだった。寛延2年(1749年)10月16日に江戸で死去した。享年49。
跡を長男・直興が継いだ。