銅剣

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大分市浜遺跡出土細形銅剣(複製)

銅剣(どうけん)とは青銅で作成された。出土は世界的な広がりをもつ。

日本の銅剣

日本における銅剣は、弥生時代の初期に大陸より伝来といわれている。伝来時の銅剣は、細身で鋭いデザインである。日本考古学では初期のものが武器として考えられ、巨大化した後期のものは祭器と考える傾向がある。もっともギリシアの青銅武器発展の過程を見る限り、銅は堅いかわりにもろく、細く鋭いデザインでは壊れやすくなってしまい、実戦で使用するならば逆に巨大化し打撃によって相手にダメージを与える方向に進化すると考えるのが妥当である。

その後、日本でも銅剣の鋳造技術を発達させ、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、すぐに鉄剣も伝来した。大陸や朝鮮と違って、到来の時期的な差が少ないため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短いとされる。鉄剣が主流になってからは、銅剣は次第に主に儀式に使用されていったと考えられている。

弥生時代の青銅器としては銅鐸が著名であるが、これが近畿地方から多く発見される祭器であるのに対し、銅剣は九州地方中国四国地方などに特に濃密に分布する。儀式などで使用されるにつれ大型化したものと考えられ、形も徐々に変化した。現在では、作成時期により3種類に分けて、初期は「細形」、中期が「中細形」、後期が「平形」と編年分類されている。種類としては、有柄銅剣(ゆうへいどうけん)や金色銅剣(こんじきどうけん)などもある。

滋賀県の上御殿遺跡で出土した双環柄頭短剣は、中国華北や内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ており、朝鮮半島での出土例は無いことから、 中国から日本海ルートで流入した可能性がある[1]

主な出土遺跡

島根県出雲市にある荒神谷遺跡では史上最多となる358本の銅剣が発見された。

荒神谷遺跡で発見された銅剣は祭祀用のものと考えられている。 荒神谷遺跡近くにある荒神谷博物館は元々集落の遺跡があった土地に建てられた。

関連項目

脚注