コンテンツにスキップ

野間馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。しまあじ (会話 | 投稿記録) による 2012年5月14日 (月) 06:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

野間馬(のまうま)とは野間(愛媛県今治市)で飼育されている日本在来種である。体高はおよそ110-120cmと小型で、ポニーに分類される。毛色栗毛鹿毛が中心である。

概要

越智駒土佐駒などかつて四国に存在した在来馬の1種として考えられ、縄文時代末期には既に祖先が存在したと推測されている[1]

原点は伊予松山藩藩主・松平定行来島海峡にある小島に馬を放牧したところから始まる。この事業は疾病発生と飼料不足で失敗に終わるが、その後今治藩領内の野間郷一帯の農家に繁殖を委託。体高4尺(約121cm)を定尺とし、この定尺より大きい馬は藩公から飼育費の他に報奨金が与えられて増産を進められた。一方、定尺より小さい馬は飼育費を払わない代わりに農家に無償で払い下げられた。以降農家ではこの定尺以下同士の交配が行われ、日本最小の在来馬「野間馬」が誕生した。この小型馬は「ノマゴマ」「ノマゴ」などと呼ばれ、珍重された[2]

農家ではこの小さな野間馬が頑健で粗食に耐え、蹄鉄がなくとも70kg程度の重い荷物を乗せることができることから増殖が盛んに進められ江戸時代には約300頭を超えるまでに増え、農耕や荷物の運搬に用いられた。しかし明治時代に政府が小型馬の生産・育成を禁止し、さらに第二次世界大戦後には農業の機械化が行われたことで数が激減してしまい一時は絶滅寸前まで陥った。

だが1978年松山市篤志家が自身の所有していた野間馬(牡1頭、牝3頭)を今治市に寄贈。これをきっかけに野間馬保存会が結成され、以後は増産が進められた。1985年、8番目の日本在来馬に認定。

現在では野間馬ハイランドなどで飼育され、数は約80頭に回復している[3]。そこで乃万小学校の生徒たちのため、野間馬に活躍してもらおうと小型化して乗馬以外に小型の馬車を引くための準備が関係者によって進められている[4]。農耕としての需要は無いものの、観光用として用いられる。また温和で賢い性格のため、小学校のクラブ活動や動物療法にも利用されている。

特徴

  • 性格は温和で賢い。
  • 四肢は短節で細い。関節は骨太で蹄は緻密。
  • 体格に対し頭部は大きい。前髪、鬣が長く蜜毛。
  • 江戸時代には白毛(芦毛)が流行したが、現在では栗毛・鹿毛が中心。

参考文献

  • 『月刊馬劇場』1993年6月号 76-78頁。

脚注

  1. ^ 丹波康詞. 『月刊馬劇場』 1993年6月号 日本の在来馬3 野間馬の語り部は子供たち 76頁. ラジオたんぱ 
  2. ^ 今治おもしろ百科/野間馬ってなあに?
  3. ^ 日本在来馬の飼養状況(pdf、社団法人日本馬事協会)によれば2006年現在で保存地区内で84頭。
  4. ^ 畜産ZOO鑑>大切な日本在来馬【在来馬品種】野間馬(のまうま)

外部リンク