費漢源

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柳塘漁楽図 絹本墨画淡彩 江戸時代中期 橋本コレクション

費 漢源(ひ かんげん、生没年不詳)はの商人・画家。江戸時代中期、日本に渡来し南宗画様式の画技を伝える。来舶四大家の一人[1]

名は瀾、は漢源。浩然とした。湖州府呉興県の人。

略伝[編集]

初の来舶は享保19年(1734年)[2]という。その後、南京船主として宝暦6年(1756年)までの間、数回来泊した記録がある。商人であったが山水図・花卉図・人物図などを得意とし、建部凌岱楊利藤太に画法を伝授した。後に建部凌岱は自著『漢画指南』安永8年(1779年)の「山水位置之法」において費漢源の画法を論じている。また鈴木芙蓉の模刻による画譜『費氏山水画式』が天明7年(1787年)に刊行されている。滞在期間と比べ漢源の伝存作品は少ない。同じく来舶清人の費晴湖は漢源の同族とされる。

脚注[編集]

  1. ^ 伊孚九・費漢源・張秋穀江稼圃の来舶画人をいう。
  2. ^ 『続長崎画人伝』・『玉洲画趣』

参考文献[編集]