豊野五十戸

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豊野五十戸
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
改名 猪名部王→豊野五十戸
官位 従五位上出雲介
主君 孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 豊野真人
父母 父:鈴鹿王
兄弟 出雲篠原尾張奄智五十戸
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豊野 五十戸(とよの の いそべ)は、奈良時代皇族貴族。当初猪名部王を称し、臣籍降下後の氏姓は豊野真人知太政官事鈴鹿王の子。官位従五位上出雲介

経歴[編集]

天平宝字元年(757年)兄弟の出雲王篠原王尾張王奄智王と共に豊野真人姓を与えられて臣籍降下する。この時同時に五十戸に改名したか。

天平神護2年(766年)三世王の蔭位により无位から従五位下に直叙される。神護景雲4年(770年称徳天皇崩御した際に、父・鈴鹿王の旧宅を陵墓にすることになり、鈴鹿王の子息が叙位を受け、五十戸は従五位上に昇叙された。

光仁朝の宝亀7年(776年)出雲介に任ぜられている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

参考文献[編集]