豊沢勇治

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豊沢勇治

豊沢 勇治(豊澤 勇治、とよさわ ゆうじ、1899年明治32年)1月17日[1] - 1974年[要出典])は、大正から昭和時代の台湾総督府官僚、政治家秋田県能代市長(3期)。

経歴・人物

秋田県山本郡響村仁鮒(現・能代市二ツ井町仁鮒)出身[2]第一高等学校を経て、高等試験行政科に合格し[2]1927年(昭和2年)3月、東京帝国大学政治科を卒業後、1928年(昭和3年)6月、台湾総督府に出仕[3][4]台南州文書課配属となる[3]

同年12月、高等文官試験に合格し、1931年(昭和6年)5月に[5]地方理事官に進み、高雄州岡山郡守に就任する[3]。その後、台北市助役、総督府事務官、内務局地理課長などを歴任したのち、1942年(昭和17年)8月に財務局税務課長を経て、同年11月、書記官に就任した[4]

戦後は、秋田県能代市長を3期務めた[6][7][8]

親族

脚注

参考文献