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谷利

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谷 利(こく り 生没年不明)は小説『三国志演義』に登場する武将。また『江表伝』・『水経注』に記載がある。

史書の記載

元々奴隷であったとの記録があるため、解放奴隷であると思われる。(『芸文類聚』巻35に引く『江表伝』。『三国志』に引く『江表伝』では、なぜかこの記載が削除されている)側近で使い走りをしており、謹直な性格から親近監に任ぜられていた。また忠義で一本気であり、いい加減なことを言わなかったことから、孫権の信頼を得ていたという。

合肥の戦いでは、孫権が駿馬で渡し場の橋を渡っていたところ、橋の南端一丈が撤去されていたため、進退が窮まっていた。そこで孫権の後ろを付き従っていた彼が、馬に鞭を入れて飛騎させたおかげで、孫権は危機を脱することができた。そのため孫権は、谷利に都亭侯の位を与えたと。

また黄武5年に武昌で「長安」なる巨大戦艦(『水経注』によれば二千人を乗せられたという)の進水式を行った際、孫権も船に乗っていたが、風が強くなったため、谷利は舵取りに対し、武昌のすぐ近くの樊口(現在の鄂州市)に停泊するよう命じたが、孫権は航行を続け羅州(現在の黄岡市)まで行くことを望んだ。そこで谷利は剣を舵取りに突き付けて、強引に樊口へと向かわせた。風はさらに激しくなり、結局船は接岸して座礁した。後に孫権はこれを「臆病な利ちゃん」とからかったが、谷利は船が転覆して、孫権を失うことを恐れたので、命令違反のときの死罪を覚悟して命令した、と言った。これ以後孫権は谷利を大切にし、彼を名前で呼ばずに、いつも「谷」と読んだといわれる。


三国志演義

張遼楽進李典らと合肥で戦ったとき、孫権の部将として従軍する。 張遼に襲撃された際は、退路を絶たれた孫権に「一旦ご乗馬を退がらせ、一気に飛ばしますれば、飛び越えられまするぞ。」と言う。 これに従った孫権は見事に対岸へ飛び越え、張遼から逃げる事ができるのである。

のちに帰陣した孫権は、谷利を厚く賞している。

参考文献

  • 三国志「呉主伝第二」