蕭敷

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蕭 敷(しょう ふ、461年 - 497年)は、南朝斉宗室は仲達。南朝梁の武帝蕭衍の次兄にあたり、皇族として永陽昭王に追封された。

経歴

蕭順之の次男として生まれた。南朝斉の長沙王蕭晃の下で行参軍を初任とした。行参冠軍征虜二府軍事をつとめ、入朝して太子舎人に転じた。太子洗馬に進み、南海王蕭子罕の王友をつとめ、丹陽尹丞として出向した。入朝して太子中舎人となり、建威将軍・隨郡内史に任じられた。寧朔将軍に進み、廬陵王蕭宝源の下で諮議参軍として召された。497年建武4年)8月6日、死去した。享年は37。蕭衍が即位すると、侍中・司空の位を追贈され、永陽郡王に追封された。は昭といった。

妻子

伝記資料

  • 梁書』巻23 列伝第17
  • 南史』巻51 列伝第41
  • 故侍中司空永陽昭王墓誌銘
  • 故永陽敬太妃墓誌銘