蒔絵師源三郎
蒔絵師源三郎(まきえしげんざぶろう、生没年不詳)とは、江戸時代の人物。
来歴
経歴不明。元禄3年(1690年)刊行の『人倫訓蒙図彙』第三巻巻末の挿絵に「蒔絵師源三郎筆」という署名があるのみで[2]、しかもこの署名が無い版の本も伝わっている。ほかに版本の挿絵で「蒔絵師源三郎」の作といわれているものもあるが、署名はなく定かではない。『退私録』(新井白石著)にある記述から奈良の人といわれてきたが[1]、『退私録』に記されたのは松屋久重(通称塗師屋源三郎)という別人であること、『人倫訓蒙図彙』を出版したのが京都の書肆であることから、「蒔絵師源三郎」も京都の人物だった可能性が指摘されている。『絵本年表』(漆山又四郎著)には、「洛中洛外の絵巻を見るに源三郎は住吉具慶の門人か左なくも具慶を私淑せる者なるべし」とあるが、これも定かではない[2]。
脚注
- ^ 「茶の湯に名ありし珠光は浄土宗にて、永観堂の末寺にて南都の称名寺の住僧なりしよし仰あり。天蓋(テガイ)といふ所に塗師屋源三郎といふものあり、其家に珠光が所持せし徐熙が鷺の絵ありて見侍りし由仰す」(『退私録』巻之上、「珠光が事」[1])。「天蓋」とは現在の奈良県奈良市手貝町のこと。
- ^ 以上、「蒔絵師源三郎と『人倫訓蒙図彙』」に拠る。
参考文献
- 石田礼以菜 「蒔絵師源三郎と『人倫訓蒙図彙』」 『三田國文』第六十六号 「三田國文」編集委員会、2021年[3]