芦川貫一郎

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芦川 貫一郎(あしかわ かんいちろう 1850年代? - 1927年)は、日本の地方政治家。稲城村の村長を務めた。

稲城村の村長の中で唯一、肖像画が存在しない[1]

来歴[編集]

神奈川県南多摩郡大丸村出身。1889年に稲城村制執行の際、初代収入役に就任する[2] 。1897年1月20日に村長になるも、同年10月22日に病気のため辞任[3]。その後も村会議員を務め、1921年に引退した。

1927年に亡くなったとされる[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 稲城町誌」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 稲城町誌」国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 稲城町誌」国立国会図書館デジタルコレクション
公職
先代
原田所左衛門
東京都稲城村長
1897年 - 1897年
次代
長坂伊三郎