紅露時代

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紅露時代(こうろじだい)は、明治20年代に尾崎紅葉幸田露伴が代表的作家として活躍した時代をいう[1]。「紅露」は「尾崎紅葉」と「幸田露伴」のそれぞれの名前の頭字をとったものである[1]

概要[編集]

1885年(明治18年)に回覧雑誌『我楽多文庫』を発刊した尾崎紅葉は、1889年(明治22年)に発表した『二人比丘尼色懺悔』が出世作となり、同年読売新聞社に入社以後、同紙に『伽羅枕』(1890年)、『多情多恨』(1896年)などの作品を発表し人気作家となった[2]。一方、幸田露伴1892年(明治25年)に25歳で発表した『五重塔』が高い評価を受け、作家としての地位を確立していった[3]。この時期、写実に徹し女性描写に優れていた紅葉と、一芸に生きようとする男を雄渾な文体で描く露伴は「写実主義の紅葉、理想主義の露伴」と言われるようになり、「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を迎えることとなった[4]

同時期に活躍した森鴎外坪内逍遙と合わせて「紅露逍鴎時代(こうろしょうおうじだい)」と呼ぶこともある[1]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 紅露時代とは”. コトバンク. 2022年10月30日閲覧。
  2. ^ 尾崎紅葉”. 近代日本人の肖像. 2022年10月30日閲覧。
  3. ^ ビールを愛し「酒仙」と呼ばれた明治文学界の重鎮・幸田露伴”. キリンホールディングス. 2022年10月30日閲覧。
  4. ^ 文豪・幸田露伴ってどんな人?代表作は?頑固で猛烈な酒好きエピソードも3分で解説”. 和樂web (2022年1月9日). 2022年10月30日閲覧。